石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

聖堂は、學校創設の際之を經營するの意ありて、既に老臣本多氏に費用の献納をすら命じたりしが、幾くもなく中止せり。寛政六年四月明倫堂の傍に天滿宮を勸請し、倉稻魂神を相殿とす。世に之を聖堂と稱したりといへども、實は先聖先哲を祭れるものにあらず。その後聖廟建設の議屢唱道せられたるも、未だ實際に着手する機運に到達せず。纔かに慶應三年集學所を城東卯辰山に建設するに及び、こゝに聖廟を立て、像を安置して祭祀したることあるに過ぎず。釋菜の禮は、毎年正月元旦明倫堂に於いて行ひしが、天保十年より二月上丁の日と改め、若しこの日事故ありて執行すること能はざるときは二月仲丁又は仲秋に延期せり。孔子の像は、初め畫像を用ひたりしが、この年以後明の朱舜水の書せる至聖先師孔子神位の木主を安置せり。こは曾て前田綱紀の命じて作らしめたるものなりといふ。この日學校主付以下の教職員學生一同熨斗目・上下にて出校し、以て莊嚴なる式典を擧げたりき。