石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

明倫堂學科は、當初儒學の外に易學・皇學・律令・醫學・本草・天文・暦學・算學・禮法等ありき。而して儒學に於いては、會讀の際會頭となり若しくは講義を試むるを教授又は助教の任とし、素讀は句讀師之を授け、易學は助教の兼務する所にして、皇學以下には別に教師を置けり。文化元年六月易學を除き、生徒に對策事業を課せしが、後幾くもなく舊に復し對策を廢ぜり。天保修補の際定めたる學科目には儒學の外に易學・醫學算學・禮法あり、又素讀生の習字をも調査することゝし、嘉永五年六月新たに皇學講釋を加へたりき。皇學は創立の際その目ありしといへども、一旦廢したるを以て再興せるなり。明治元年七月又學政を改め、入學生の儒學講習を會讀と講解との兩席に別ち、八月寄宿生の餘暇に撃劍及び西洋馬術を學ばしめ、九月入學生會讀を廢し、十二月初めて四民教育の爲に講解席を開き、素讀生を別に附屬の濟々雍々二館に收容せり。二年六月寄宿生及び諸士に命じ、日課を定めて撃劍を學ばしむ。寄宿生に在りては固より撃劍を學ぶの制ありしこと前に言へる如くなるが、この前年悉く經武館の舊式武術を廢せられたるが故に、是に至りて諸士も亦各隨意の師範に就きて練習するの外、別に明倫堂に出でゝその技を演ずることを命ぜられたるなり。