石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

學生數に就いては、寛政四年學校創立の際に於いて出校を出願したるもの二千六百人に及びたりと見ゆ。然れどもこは當初四民教導を標榜したるが故に、庶民に至るまで生徒たらんことを希望したるものあると、一は世俗の好んで新奇を迎へしに因るべく、且つ學校に在りては素よりこの多數を収容するの設備なかりしを以て、歩士並以上のものと人持組に屬する士分以上の陪臣とを入學せしめ、その他は講書聽聞をのみ許すことゝせり。されば當時その實數凡そ幾何に上りしやは之を知ること能はざるも、文化十年大島維直の建言中に素讀生の三百人を越ゆることを記し、天保九年大島桃年の學政私考中に生徒人數大略二百人と圖り云々といひ、嘉永元年同人の意見書中に入學生大數二百六十人といへば、素讀生生徒若しくは入學生も共に二百人乃至三百人なりしものゝ如し。又寄宿生に就きては、創立の際學校の區域中に學舍を設置し、志願者の自費によりて寄宿することを許し、特に貧窶なる者に食料を給するの法ありしといへども、實際に行はれたるにはあらず。明治元年八月寄宿舍を置き、二年三月更に之を擴張して南北兩院とするに及び、漸くその制の備りたるを見る。