石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

この後三十年に亙りて、殆ど著しき變化を見ることあらざりしが、明治元年十二月四民教導の爲に講解席を設くるに及び、教員の不足を生じたるを以て、陪臣儒士を登用して助教雇たらしめ、之と同時に素讀生を新設の濟々雍々二館に移したるが故に、明倫堂に於ける句讀師を廢することゝせり。二年三月藩治職制改定して、藩吏階級を九等に別ちたりしが、この時學校主付・督學・教授等の名稱を廢し、新たに學政・軍政の二寮を設け、知事(二等官)・副知事(三等官)・書吏(七等官)・二等書吏(八等官)を置きて文武の學政を掌らしめ、文學局に文學教師を、武學局に武學教師を置けり。その一等文學教師と一等武學教師とは四等官に當り、二等文學教師と二等武學教師とは五等官に當り、三等文學教師と三等武學教師とは六等官に相當す。而して此の時に於ける年俸の規定は、四等官は金四十兩、五等官は二十五兩、六等官は八兩なり。但し知行百石以上のものは、百石毎に職俸十分の一を減ずるが故に、知行千石以上は無職俸となり、知行百石以下は職俸全部を與へらるゝの制たりしなり。同年六月十七日前田慶寧藩知事となり、從來の學政・軍政二寮を廢し、更めて學校・兵政の二係を置き、權少參事・正權大少屬・史生・掌・出仕等の諸官を補任して教育行政及び教授の任を分擔せしめ、先の二年三月に定めたる知事以下教師等の名は皆之を廢せり。次いで同三年文武官判任班列等級改定したる時、學校に少屬一人・權少屬十人・掌六人を置き、少屬の年俸は現米三十三石、權少屬は二十五石、掌は十四石と定めしが、同年十月明倫堂廢止せられたるを以て、役員・教師皆悉く解職せらるゝことゝなれり。