石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第二章 儀式慣習

第二節 風俗

正月十一日、町家にては藏開を爲し、武家にては口祀を行ふ。藏開を十一日に行ふことは江戸の慣習に同じく、口祀とは具足に供へたる鏡餠を煮て食するものにして、この鏡餠を截斷することを直すといふは、斬るの語を忌むに因る。この日又『きしう』と稱し、知行所の百姓等土産を齎し士家に至りて祀詞を述ぶ。士家にては之に對して酒肴を饗し、百姓は田植唄など謠ひて抃舞踴躍し、田草取と稱して匍匐しながら堂奧に入るの無禮も尚寛假せらる。盖し『きしう』は、後世吉祝の字を慣用したるも、初には吉初と書せられ、元和二年の文書に代官支配の農民より納めたる吉初錢を受取りたることなど見ゆるものにして、元來王朝以降行はれたる吉書の轉訛なるべく、農吏が地頭に見えて農事を告げ、地頭は農民にその勤勞を賞したることなどより起り、遂に廣く百姓給人との關係に及びたるものなるが如し。末に在りては十村山廻等の農吏が登城して賞賜と饗應とを受くること、正月十三日に於いてするを例とせりといへども、古くは十一日なりしが故に、農民の『きしう』も亦その日に行ふの慣習を生じたるなるべし。沿海の地方にては『きしう』を起の義に採り、轉じて『ふなおこし』といひ、海上生活者の安息日として祀宴を張れり。