石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第一章 制度法規

第三節 司法

連座法は、犯人が名字持たるときは大にその適用を異にし、父の死刑なるときは、死刑の種類如何に拘らず、その子を連座せしむるを通則とす。今犯人の身分が足輕なる場合の規定を案ずるに、寛文六年には、斬刑に處せられたる足輕の子は今後之を助命することゝし、その子にして扶持を受くる者ある時は之を召放つべしとのことあり。然るに延寶二年この法を改め、父の罪状輕重に拘らず、足輕以上名字持たる身分を有するものにして死刑に處せられたる時は、その男子は皆切害することゝせり。即ち延寶八年割場付足輕中村四郎右衞門が公物を盜みたるを以て斬に處せられたる時、その養子にして割場付足輕たりし武兵衞及び武兵衞の男子が共に斬に當てられしはその例なり。又他家に養はれたる子を連座せしめしことあり。元祿八年代官下代松井武左衞門が公米を盜みて斬せられし時には、男子四人皆連座せしが、その中一人は既に他家に養子となれるものなりき。犯人の死後に於いて、その刑の裁量死に當るものなるの故を以て、子を連座せしめしことあり。即ち元祿六年割場附足輕中村八兵衞が禁牢中病死せしに拘らず、若し存命せば死刑に處せらるべかりし罪なりといふを以て、四人の男子を盡く斬刑とせり。然るに享保十六年、足輕吉村豐右衞門が貨幣贋造の罪を犯したるときには、固より死刑を免れざりしといへども、禁牢中病死したりしが故にその男子を助命し、三ヶ所御構追放代刑に處したりしが、爾後之を以て恒例とするに至れり。又父を死刑に處する時は多數の男子を連座せしめざるべからざるが故に、父の罪に對する刑の裁量に就きて臨機の處置を採りしことあり。寛延二年足輕林市左衞門が斬刑に當る罪を犯しゝ時、その男子三人を連座せしむるに忍びずとなし、父を三ヶ所御構追放代刑に減じ、子を無罪とせしはその例なり。かくの如き異例の恩典は、固より犯罪の性質如何に因りしなるべし。又明和二年先に河原山口留關所足輕たりしが現に浪人たるものゝ、該關所に備へたる鐵炮を盜めることあり。この犯人は捕へられて禁牢に處せられしが、判決以前に病死せしを以て、嫡子にして足輕たりしものを扶持被召放とし、次男にして他の足輕の養子とたれるものを不問に附せり。かくの如きは、犯人の罪質亦死に當るといへども、既に浪人たりしものなるを以て、享保十六年の判決例よりも更に輕易に取扱はれたるものゝ如し。