石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第一章 制度法規

第三節 司法

追放犯罪者を領外に逐ふものにして、輕重の二樣あり。その領國に入るを許さゞるのみならず、同時に江戸大坂に入るを禁ずるを三ヶ所御構追放といひ、領國にのみ入るを得ざるを御領國追放と稱し、而して元祿六年單に追放といふときは、三ヶ所御構追放の義なりと定めたり。然るに享保七年二月幕府は令して諸藩兇惡の徒をその領内に置くを欲せずして追放に處するときは、他領の治安を害するの憂あるを以て之を禁じ、啻り爭鬪して互に相傷つき、若しくは武士にして罪状により追放するを便とする場合はこの限にあらすとせり。是を以て加賀藩は同年五月追放の刑を廢し、從前の三ヶ所御構に當る者を嚴重可仰付者といひ、御領國追放に當るを急度可仰付者と唱へ、實刑は入牢を以て之に當てたりき。次いで享保十五年八月、前者を三ヶ所御構追放代刑と呼び、二ヶ年の禁牢に處することゝし、又之と同時に、斬刑に當るものゝ赦に遭ひて三ヶ所御構追放代刑に減ぜられ、然る後再び罪を犯したる時は、曾て一たび死を以て論ぜられたる者なるが故に、今次の罪状の輕重に關せす之を死刑に行ふことゝ定めたり。かくて領民を國外に追ふこと一旦止みたりといへども後には又江戸に入るべからざるを條件として追放することあるに至り、之を御關所追放といへり。この場合にありては、江戸に於いて幕府に屆出で置くを要したりき。前記の外、領内を去るを要せざるも、從來の居住地より追放せらるゝものあり。之を所拂追放といひ、百姓町人にして支配奉行より雇傭せられたる時之を拒み、又は藩吏を誹謗したる場合に之を科せり。郡村に在りて追出しと稱するものも亦同一なり。