石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第一章 制度法規

第二節 祿制

口米の事は、慶長三年豐臣秀吉白山々麓に於ける檢地定に口米一石に付き二升と見え、加賀藩にては慶長十年卯月附越中金屋本郷物成の定に、物成百八十六石八斗八升に對する口米九石三斗四升四合とあれば、この時既に一石に對して五升の口米を徴せしを知るべく、次いで元和元年十一月七日の令に、『一、諸代官口米、納一石に付而斗子を以四升宛取可申事。一、藏奉行口米、納一石に付斗子を以二升宛取可申事。』とありて、この時口米は六升となり、翌二年九月十七日の令により更に増して八升とせしなり。但しかくの如く連りに増加したる理由に就いては詳かならず。降りて寛文十年には、斗子升を以て量りたる定納及び口米の合計一石八升が、新京升一石一斗一升二合四勺に當るを以て、口米を一斗一升二合四勺と爲さゞるべからざることを算出せり。然るに新京升五斗を以て一俵に俵裝するときは、定納百石及び口米十一石二斗四升を容るゝ俵數は二百二十二個餘となり、從來の二百十六俵に比して、六個餘の俵裝を餘分に作るを要したりしが故に、米四升をこの費用に宛て、口米定納一石に對し一斗一升二合に止めたり。爾後末に至る口米の制こゝに於いて定まる。又當時の文書に、斗懸(ハカリカケ)俵及び斗切俵の語を用ふるものありて、斗懸俵とは定納五斗以外之に對する口米五升六合を加へて俵裝したるものをいひ、斗切俵とは定納を五斗俵とし、口米も亦別に之を五斗俵に俵裝したるものをいへり。