石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第一章 制度法規

第二節 祿制

然るに當時租率は、年々の豐凶によりて増減する檢見法に據れるを以て、一旦協定したる免相も、給人の誅求によりて漸次増率し、假令凶歉に會することあるも、概ね減免を許さゞりしかば、百姓の困難は言ふも更なり、同村に在りて同品等の田地といへども、給人を異にするに從ひて、免相に高低あるの不都合をすら生ぜり。况や寛永八年三月十三日の令によりて、給人郡奉行の同意を得るときは増免することを得、同村に免相を異にする給人ある場合は、事情を檢して高免のものに隨ふを許したることの如き、正保三・四年に於いて臨時三歩の免上げを給人に許したるに、その後舊率に復せざるものありしことの如き、敦れも百姓を苦しめ、祿制を混亂せしむるものにあらざるはなかりき。

 一、御改作前御收納方は、御給人百姓相對に而、御免相御人々區々に相成り來り、[吾在所三清村(越中礪波郡)に而も、高免は五 ッ二厘、下免は三ッ八歩壹厘]御給人衆より下代を村々へ被遣、納方等御せり立被成候義に而、御人々御收納甲乙有之義は不申、百姓方にも地頭に寄、御納所多少有之義に御座候所、寛永之中頃より歟、是迄御取免之外無増免に御取被成候義不相成事に被仰付候由に候へ共、其上にも中には免を増御取被成候御方も有之。又凶作などに候へば、百姓より減免相願候に付、一作引免仰付候御人々も御座候。されども寛永十七八年の凶作にも、惣御給人一統減免に被仰付候事無之、作難御取扱の品も相見え不申、元より百姓方にも年々未進米仕候義に御座候。又寛永十八年に、同十三年より十七年迄之御給人衆區々の御取免書上に相成候。是は同十六年微妙院樣御隱居御願被遊、同年富山樣・大聖寺樣え御分國被遊候に付、御隱居御領二十二萬石、富山樣等御領十七萬石御切分被仰付候由に而、同十八年御給人衆御知行上り知多く、又新御知行出も多く有之、此上り知に相成候分、免相五ヶ年平均方被仰付候而、其平均免に而新御知行出に相成候。[三清村に而も惣高の内、御給人衆五人に而、四百四拾五石餘上り知に相成候。其平均四ッ八歩八厘餘に付、其高新御給人衆五人え御知行出に相成候に 付、皆四ッ入歩九厘に御座候。此外之高六百拾四石餘は、此時上り知に不相成分に付、是迄の御免粗也。此分平均候へば、四ッ五歩五厘免と相成候。]又正保三四年には、御給人衆へ三歩宛免上げ候樣被仰出候由に相見え候へ共、承應三年に此免今以用捨不給人は誰々と申義、書出候樣被仰渡候義も相見え、少しは御制度も相立候樣にも候へ共、畢竟は區々の御免相に而、御人々御心々に而増免仰付、前々より何一つ相替り候品も相見え不申候。
〔御改作始末聞書〕