石川県立図書館 大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝 第一節 繪畫

末の人にして、物故の明治以後に亙るものには中濱鶴汀あり。鶴汀は金澤の人、に上りて畫を學び、專ら元明の遺跡を慕ひ、遂に一家を爲す。明治三年歿する時齡七十八。岡田靜山、名は之式。別に松齋又は托松翁と號し、天保中大小將組頭に進み、武技の傍畫を以て自ら娯む。花鳥に巧に山水を善くし、能登名勝圖卷・關原名勝圖卷等の著あり、明治四年六十六を以て歿す。狩谷芳齋、名は行、金澤の人、大島桃年・木下晴崖等と詩酒の交を爲す。又丹青の技を岡田楊齋に學び、畫く所相髣髴たり。明治八年歿す、年七十六。榊原拙處、名は守典、藩士にして蘭所・三癡・一翁・逸翁・梅下書屋等の號あり。書畫並びに之を能くし、明治八年歿す、年八十五。小池池旭石川郡福留の人、初め紫雪と號す。又梅蔭女史ともいへり。江戸に出でゝ大沼枕山の義妹となり、畫を以て諸國を遊歴す。池旭性男子を厭ひ、旅次の間といへどもその室に注連を張りて彼等の入るを許さず。戊辰の役會津侯に隨ひて北下し、婦女の隊に加りて戰ふ。後官軍に獲られしも許され、參州豐橋に歿す。時に明治十一年にして齡五十五。徳田寛所金澤の人、醫を業とし、詩書を能くし、又山水の畫に長ず。明治十二年六十七歳を以て歿す。池田九華河北郡能瀬の人にして、又美國畫史と稱す。に至りて田中日華に四條派を學び、後金澤に住して明治十四年に歿せり。若し夫岸井靜齋村山翠屋蕪城秋雪等に至りては、その生末にありといへども、寧ろ明治の人とすべし。靜齋名は孝次、又白髯居士と號す。の歩士にして、畫を森西園に學び、後岸駒・大雅の風を慕ふ。明治二十六年六十八歳を以て歿す。翠屋は別號を小隱といひ、石川郡鶴來の人にして、京都に遊び山本梅逸に從ひ、歸郷の後優遊丹青に親しめり。明治二十三年七十二歳を以て歿す。秋雪は通稱二郎名は冲、別號は松碓・玄對閣主又は心華居士。石川郡松任の人にして、畫を東山雙林寺の義亮に學び、後東京に遊び、明治三十九年備中倉敷に客死す、享年六十七。著す所雲煙逸話・南畫指要等あり。