石川県立図書館 大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期 第四節 極盛極治 

時に綱紀の齡既に耳順に達したるも、尚未だ繼嗣を定めざりしが、將軍は豫めその世子に謁を賜ふべきを告げしを以て、二月二十八日長子又左衞門利興[後吉 徳]を伴ひて登營し、世子の禮を以て謁見せしめたりき。次いで將軍は、四月朔日藩臣本多政敏安房守に、同月二十五日前田直堅を近江守に、横山任風を山城守に任じて之を優遇せり。既にして期に至り、約を踐みて本郷邸に臨みしが、隨行するもの上は老中より下は幕府に出入する工商の輩に至るまでその數凡べて五千有餘を算し、六千疊の御成御殿も之を容るゝに足らず、綱紀の居舘より臣隸の屋舍に至るまで悉く之に當てたりき。この日將軍は老臣本多政敏以下十三人に謁を賜ひ、綱紀は將軍に寳刀・鞍馬等を献じ、將軍も亦綱紀に寳刀及び黄金等を賜へり。綱紀及び世子利興共に酒を行り、奏するに猿樂を以てし、次いで將軍は自ら論語の君子不器の章を講じ、綱紀をして大學の平天下の章を演べしめ、將軍又猿樂の一齣を舞ひ、綱紀も同じく立ちて之に報い、主客共に歡を罄くし、天下泰平の象この日悉く本郷の一角に集るの感ありき。

 二十六日(元祿十五年四月)加賀守綱紀がもとに始てならせ給ふにより、綱紀つとめて御迎にまうのぼり、奏者番に謁して退く。豫參は松平美濃守吉保・阿部豐後守正武・土屋相模守政直・秋元但馬守喬知・稻葉丹後守正往・松平左大夫輝貞・少老加藤越中守明英・御側青山伊賀守秘成・大久保長門守教寛・大目附・目附・使番・納戸頭・腰物奉行・御膳奉行・進物番・賄頭・臺所頭・奧右筆等なり。大廣間より御乘物奉る。供奉は少老稻垣對馬守重富・本多伯耆守正永・御側島田丹後守利由・安藤出雲守信富・雨番頭・目附・徒頭・小十人頭・中奧近習の輩多くつきそひ奉る。大駕門外にわたり給へば、綱紀並長子又左衞門袴著しむかへ奉る。但馬守喬知とりあなせ給り、御詞をたまふ。綱紀父子立かへり、玄關にむかへ進らす。一族親縁の輩松平安藝守細長・松平右衞門督吉泰・松平備後守吉長・松平飛騨守利直・淺野土佐守長澄・松平長門守利興・前田釆女利昌前田隼人利英、皆門外にて拜し奉る。見參ゆるし、家人も同じ。一族には御詞をたまふ。かねて御供命ぜられし牧野備前守成春・松平遠江守忠喬・松浦壹岐守棟(タカシ)・久世出雲守重之・青山下野守忠重・蜂須賀飛騨守隆重・青山播磨守幸督・松平伊賀守忠周・阿部飛騨守正喬・三浦壹岐守明敬・松平彈正忠正久・秋元伊賀守喬房・稻葉長門守正知は、同じ門の内にて拜し奉り、御詞下さる。松平岐守頼常・酒井雅樂頭忠擧・井伊掃部頭直通は塀重門内にて拜謁し、これも御詞をたまふ。御乘物を降たまへば、綱紀先導して廊より表書院の側奧廊にてとゞまれば、御詞ありて奧書院にいらせられ上段に著給ふ。時に綱紀、長鮑もちいでゝ供す。とらせたまひ、綱紀父子にたまふ。かくて綱紀父子に賜物あり。畢て美濃守吉保先導し、表書院にならせ給ひ、父子献物す。次に家人等拜し奉り、次に一族出で拜し奉る。ふたゝび奧書院にならせ給ひ、松平備後守吉長・松平右衞門督吉泰が妻ども・仙溪院尼・松子飛騨守利直・松平長門守利興・前田釆女利昌もの奉り、綱紀父子より内々の献り物あり。次に雜煮・吸物奉り、父子伴食す。御盃賜はるとき、綱紀に御刀・御さしぞへ引出物し給ふ。、綱紀よりも返盃のとき刀・さしぞへ奉る。次に又左衞門御盃に御刀賜はり、是も御盃かへし進らするとき刀を奉り、また其御盃を綱紀にたまはる。次に七五三の御膳を供す。次に御講書あり。父子並に一族、溜詰普代の衆・雁間詰・奏者番及家司等拜聽し奉る。綱紀もことさらの仰蒙りて進講す。次に猿樂あり。翁・高砂・東北・祝言・狂言末廣がり等はてゝ、御休憩所にわたらせられ、常のおもの造り、御宴あり。父子召れ、綱紀に茶壺、又左衞門に掛幅賜はる。備後守吉長・右衞門督吉泰の妻・仙溪院尼・飛騨守利直・長門守利興・采女利昌並に家人への賜物は、老臣仰を傳ふ。次に又表書院に出たまひ、御仕舞あり。御講書拜聽の人々みな見え奉る。次に綱紀父子・安藝守綱長・右衞門督吉泰・備後守吉長、舞を御覽に備ふ。次に又奧書院にてのし奉り、還御なる。父子はじめ御送りのさま、先に迎へ奉るときのごとし。門外より伯耆守正永もて、父子に御喜悦の御詞をたまふ。父子やがてまふのぼり拜謁し、御手づからのし賜はりて退つ。けふの賜物、綱紀に備前國宗の御太刀・三千枚・時服百・繻珍百卷・天鵞絨五十卷、御盃のとき島津正宗の御刀・吉光の御さしぞへ、内々より師匠坊肩衝の茶入、又左衞門に備前長光の御太刀・令五十枚・時服五十、御盃のとき貞宗の御刀、内々より卒翁筆癡絶布袋の掛幅、備後守吉長妻に綿百把・文臺・硯、右衞門督吉泰妻にも同じ。仙溪院尼に綿百把・十炷香箱、飛騨守利直に時服十、長門守利興に七、釆女利昌に六、家司本多安房守に金十枚・御紋の時服五、其他一門家司・家司並の輩に金・時服たまふ事差あり。又綱紀に、一位尼公・御臺所より綿三百把・二種一荷づゝ、五丸・鶴姫・八重姫の御方々より綿二百把・二種一荷づゝ、又左衞門へ兩御方より綿二百把・二種一荷づゝ、御三方より百把・二種一荷づゝなり。献物は、綱紀より備前長光の太刀・鞍馬一疋・金三百疋・時服百・緞子五十卷 いろ繻子五十卷・猩々緋三十間・綿五百把、御さかづきのとき郷の刀、新藤五國光のさしぞへ、内々より茶壺[きつや 肩衝]・徐熈の畫幅・箱肴、又左衞門より助長の太刀・三百枚・羽二重百疋、御さかづきのとき左文字のかたな、内々より書棚・箱肴、備後守吉長・右衞門督吉泰が妻・仙溪尼よりおの〱紗綾五十卷・檜重一組・箱肴、また内々より備後守吉長妻は十炷香箱・箱肴、右衞門督吉泰妻は伽羅箱・箱肴、仙溪院尼は丁子釜・箱肴、飛騨守利直は金馬代・綿百把・花瓶・箱肴、長門守利興は金馬代・紗綾三十卷・檜重・箱肴、釆女利昌は馬代・さあや十卷・檜重・箱肴、安房守はじめ家司等みな馬代・時服奉る。また綱紀より、一位尼公・御臺所に各百枚・紗綾百卷・二種一荷、五丸・兩姫君におの〱百枚・紗綾五十卷・二種一荷、又左衞門より兩御方に百枚・二種一荷、三御方に五十枚・二種一荷づゝ奉る。此日邸内は兩番頭・新番頭・徒頭組ども警衞し、諸門は持筒・先手頭つかふまつれり。
〔徳川實紀〕