石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑

五月藩士十二名を派遣して禁闕守衞に充つ。所謂親兵是なり。是より先幕府十萬石以上の諸侯伯をして、秩祿萬石毎に身幹偉大にして勇武他に勝れたる士一人を擇びて京師守衞の任に當らしめ、毎伍に長一人を置き、五伍を隊とし、毎隊に長一人と大炮一門・小銃三挺・馬二疋を備へしめたりき。然れども大聖寺藩はその出す所の士一隊の數に滿たざるを以て特に伍長二人を附したるのみ。親兵の洛に入るや、命ありて延臣豐岡氏の隨兵たらしむ。この時延臣皆諸藩の兵を隨へて自ら不慮の難に備へしを以てなり。同月十日大聖寺藩戍卒を千崎・鹽屋兩浦に配置し、一浦に二所、一所に四卒とし、隊長及び斥候士をして屢巡視監督せしむ。これ幕府京都所司代牧野備前守をして、この日を以て攘夷の期限となし、各沿海の警備を嚴にすべしと告げたるを以てなり。千浦・鹽屋の警戒はこの後五閲月にして廢せらる。