石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑

第十二世利義は、宗の主齊泰の第四男にして、母はその臣久世豐の女なり。天保四年二月十八日金澤に生まれ、幼名を甚五郎といふ。嘉永二年七月利平疾むに及び、齊泰に請ひて利義を嗣子たらしめ、八月二十六日幕府許可を得たり。因りて九月江戸に赴き、十月十七日封を襲ぎ、十一月朔日家督の禮を行ひ、十二月十六日從五位下に叙し備後守に任ぜらる。次いで嘉永四年十二月十六日從四位下に陞り、安政二年四月二十日年二十三を以て江戸邸に卒す。諦嶽院と諡し、實性院に歸葬す。利義、富山前田利保の女を娶る。子なし。法號を松現院と稱し、明治九年九月七日歿す。