石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑


 凡國家を治るには、聖人の道にしくことあらずといへども、上聖人にあらざれば其道行はれず、後世に至て賢君ありといへども是をなすことかたし。故に後世の治は、法を嚴にし善をすゝめ、小惡たりともゆるさず、小善たりとも是を上る。凡俗より是をみれば甚嚴刻なりと思ひ是を苛政とす、甚以あやまれり。苛政は下をしひたげ上の爲にす。法を嚴にするは、必竟國に惡人なきやうにとの事なり。法簡にして嚴ならざれば、民範を犯し易し。譬へば盜をするに、手元に有物は、常に盜をせざる者も其時の出來心にてぬすむがごとし。法嚴なるは民を罪におとし入ざる爲なり。併し嚴をのみ心得る時は罪人多く出來す、是又斟酌あるべし。つまる所はたみを愛する心なり。子細は民罰を恐れ小惡もなさゞれば、自ら孝悌忠信の道に至り、罪すべき人なければ、其時に至りてこそ無爲にして治り、誠の聖人の治にも類する也。凡俗の者は、一旦嚴なるをみて、人情をそこなひ亂るべきかとあやぶみ、古來より仕來し埒もなき事も、やはり因循して行へば、先當分は樂なれども、終には次第に國脈おとろへ、たとへば疢とい病のごとし。是は俗に云かわきの病也。さしかゝり難儀もなく、食餌もすゝむゆゑに、かまはず養生もせねば、終には療治なき場へ至る。此處へ至り、千計萬術すれ共及ばざるなり。とかく民を愛する事をよき事と思ひ、少しの惡事も覆ひ隱す事のみする、これは慈母とて子にあまき母の、子共を可愛がるばかりにて異見する事もなく、終に其子氣隨になり、後には惡人となる如し。父の嚴なる教によつてきずゐにもならず善きものとなる、これを父が子を憎といふべきや。民を治るも此道理にて、嚴なるはかへつて民の爲なり。扨國中上より下まで儉を專とし、無益の金錢を費さねば、國自ら富なり。國富ば君も富なり。譬ば今他國寺へ寄進、又は國中にてみだりに寺參詣を止るは、敢て佛法を憎むに非ず。愚民にては、寺へ金寄進せざれば不信心にて、何とやらむ邪見のやうに思はるゝ故、我先にと金を費し僧へ寄進す。其僧金をもつて奢り料とする故、成たけたぶらかし金を奪ふ。扨て其跡は困窮に及び、別して百姓などは必竟上の救を貪る。如此の本を糺さゞれば、何程儉約したりとて終に手のあふ事有べからず。其外國中の費に成事は、遊女博奕等都而みだりなる風俗ありては國富まず。此風を正すに、君は心なり、重職は國(君カ)の股肱なり。股肱の者基本心と合躰せざれば、手足の働心と違ふ樣になる。左すれば心の思ふ所行はれず。故によく共心の主意を心得て其用をなすべし。是迄の習俗をよしと心得、少しにても相違の事あれば、彼是誹謗有る事をいとひ、國脈の衰ふる事をしらず、悔とも遲かるべし。いつも申事ながら、尚々今の樣子を考ふるに、都而捌事に同席の心をかね、互に如此なる故、此儀は誰に障り、此事は誰に障と申事を專にする故、下々小役人に至迄是を見習ひ、みな如斯し。依之理を非になし、非を理にまげ、必竟私の爲にまよへるなるべし。元來重職の身として此所へ氣付ず、善惡邪正の沙汰もなく、とかく無異を好む時は、前々の惡風俗にて、隨樂飮食好色殺生等の風儀、何れの時か改るべきや。無異といへるは、前に言ごとく、一旦邪を正し惡を懲らし、一統正に改りたる上の事なり。此所とりちがへなきやうにすべし。
〔峻徳院樣御書〕