石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑

正徳三年八月十五日前田利章江戸を發し、二十五日金澤に着、二十六日金澤を發して歸邑の途に着けり。この日神谷内膳守應は加賀藩の老臣より城内越後屋敷に招かれ、その家老職を除きて金澤に滯留することを命ぜらる。守應は内膳守政の子なり。是より先守應、諸士に貸附したる拜借金の返還を強要せしを以て、諸士等之を憎み、守應の歸邑を待ちて之を害せんとしたるに依る。是より加賀藩大聖寺の家老佐分舍人・生駒源五兵衞以下を、代る〱金澤に招致して事情を質し誓詞を徴し、翌四年に至り借知返還の法を緩にし、七月十九日守應の逼塞赦免して事漸く落着す。五年九月守應隱居を命ぜられ、十二月その子太郎助を加賀藩臣として守應の知行二千五百石の中千石を與へ、守應の隱居知として五百石を給せり。太郎助は後の藏人守周なり。