石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑

次いで寳永七年村井主殿處罰の事あり。主殿は老臣の一人なりしが、この年二月十四日利直は命じて主殿を佐分舍人の家にせしめ、且つその家臣を集めて、主殿が主恩を忘れ、權威を假りて士庶を苦しめ、公金を私消せし等の罪状を數へたる親翰を發表せり。

 村井主殿儀、何茂如存知、筋目を思ひ近年段々取立召仕候處、恩を忘奢を極め、役儀の權威を以て家中の面々を茂致無(體)代惡心法外之仕方、第一代々の格式等も我儘に改替、大法を亂氣隨之働。依之己に同意之者は宜樣に申成、不相應の役儀を申付、後用金迄悉取出し、剩職に不似合遊者迄に遣捨、家作に至迄世間不憚仕方、兼々雖内聽、家老職申付置者に候故、逐日心附候而愼候樣に成置候へども、聊其旨もなく奢に長じ、彌増惡行日々に重り、吾等勝手方は不言、家中下々に至迄奉公難相勤樣に致成し、領分之者共却而上を恨樣に相成、大逆無道之段相聞候。依不止事、佐分舍人え預之候。家中之者共此上相心得、料簡違無之樣可致候事。
    二月十四日(寳永七年)
〔秘要雜集〕
前記舍人の苗字を佐分と書したるは、もと佐分利氏なりといへども、前田氏本支共に多く利字を諱とするを以て、之を避けたるものなり。明治の後舊に復す。次いで二月二十七日利直は再び親翰を發し、主殿の刑を定めて之を發表せり。

 村井主殿儀就極罪、其科に應じ仕置雖言付、重き役儀相勤候者故、金澤表えも及内談、其上家中之者共存念も相尋候處、吾等思意同事に候得共、職分に免じ佐分舍人於切腹させ候。何も此旨相心得、組之者共えも可聞之者也。
    二月廿七日(寳永七年)
〔秘要雜集〕