石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第六章 大聖寺藩治一斑

利治正保三年十二月三十日侍從に任ぜられ、尋いで異母弟利明を養ひて嗣とし、萬治三年四月二十一日齡四十三を以て江戸邸に卒す。實性院と諡し、大聖寺城北の宗英寺に葬儀を行ひ、荼毗に附して城南の丘陵に墓域を定む。後宗英寺は利治の墳塋の下に移り、改めて實性院と號し、世々主の一族こゝに歛せらるゝを例とせり。利治の卒するや手廻頭中澤久兵衞・手廻組小澤三郎兵衞・兒小姓小栗權三郎之に殉す。利治大正十三年二月十一日生前殖産に功ありしを以て、特に從三位追贈せらる。利治夫人は上杉定勝の女、名は徳、貞享二年八月二十六日を以て歿し、長松院と諡し、江戸下谷廣徳寺に葬る。これより第九世に至るまで、夫人墓所は皆こゝに在り。