石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第九節 版籍奉還

前田氏第十四世慶寧は齋泰の長子にして、天保元年五月四日江戸に生まる。母は徳川家齊の女景徳院。慶寧幼名を犬千代といひしが、十二年十二月朔日又左衞門利住と稱し、十三年二月十五日初めて將軍家慶に謁し、同年二月二十二日柳營に首服を加へ、正四位下左近衞權少將兼筑前守に叙任し、偏諱を賜ひて慶寧と改む。尋いて嘉永五年十二月十六日左近衞權中將に轉じ、安政五年十一月二十三日正四位上に陞り、慶應二年四月四日父齊泰致仕せしを以て封を襲ぎ、同年五月十日參議に任じ、明治二年六月金澤藩知事となり、七月十五日從三位に叙し、四年七月藩知事を罷め、八月東京に移住せり。慶寧肺患に罹り、その東上以後に及びて益重きを加へたるを以て、屢熱海に至りて痾を養ひしが、七年五月十八日その地に薨ぜり、齡四十四。諡して恭敏公といひ、神葬を以て日暮里の塋域に葬る。但し佛家に於いて松喬院慶雲良秀といふは、生前戒名を天徳院の栴崖奕堂に受けたるに因る。慶寧英明にして經世の才あり、仁慈にして衆を愛し、皇室を尊崇すること最も厚かりき。是を以て維新の後金穀を朝廷に上ること甚だ多く、又その藩知事となるや鋭意庶政を改革し、學政を刷新し、兵備を更張せり。明治二十六年七月十四日生前勤王の功を追賞し、特旨を以て從二位を贈らる。

前田慶寧畫像 侯爵前田利爲氏藏