石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第九節 版籍奉還

十二月、先に太政官の發布せる改正藩制に基づき改革したる諸般の條目を記して之を太政官に上る。同月十二日藩知事亦上表して、宜しく太政官の廳舍を造營して宮中と府中との別を明らかにすべしとの意を建議し、之と同時に米二萬石を献納して費用に充てんことを請ひたりしに、同月十五日之を允許せられたりき。この時慶寧上書中に、太政官を置くべき所は東京より勝れたるものなしといへり。葢し明治元年十月天皇東幸の際、東京城を以て皇居とせらるゝことを定められたるも、二年三月行政官の布告には『今般再御臨幸』の語あるが如く、當時東京は未だ我が國唯一の帝都にあらず。是を以て慶寧は、特に太政官を京都に置くなからんことを要請し、東京を以て好適の地なることを唱道せしなり。
金澤藩改革
 一、從前管内四民管轄方、夫々掛役を以取扱來候得共、今般廢之、總て於支配、四民諸進達物、廳掌を以爲取次事務分課方掛役々相調理施行する處一途に出候樣仕置候事。
 一、監察者廳并毎課壹員宛正權大少屬等之内兼務、非役之士族卒并社寺農商各諸進達物廻達方觸次の者として之を兼務せしめ、官律等を以親く視察し爲申達、外探索方等捕亡卒の者を以時々仕ひ立申候事。
 一、官祿別紙之通相改、渡り月前三ヶ月時相場平均を以相渡之候事。
 一、士族・卒之外等級無之儀、昨年改革之節取定申渡置候事。
 一、仲間小者今般平民え差返し、充行(アテガヒ)方雇料に相改候事。
 一、士族・卒之外、平民總て帶刀差止候事。
 一、四民通婚不差支旨申渡候事。
 一、士族・卒之内農商を志し願出候向者承屆、給祿三ヶ年分繰上、爲生活本手(モトデ)料相渡、民籍え差加申候間、士卒員數増減年々及御屆申事。
 一、城番廢止、櫓等追々取毀候樣申渡候事。
 一、債支消之法并造之紙幣引替方、兩樣合せ取結、當年年より二十ヶ年を以償濟可致目途を立、知事祿を初士卒等給祿之内十分之一取立、尚公廨諸費えも分賦仕候。
 一、學校改革仕、中小之兩學校を設、四民打込仕法相立教育方申渡候。猶委詳之儀は追而御達可申上候事。
 一、軍事向改革仕、常備兵員總て佛朗西式に編制申渡候。猶委詳之儀は追而御達可申上候事。
 一、内可議之事件有之候節は、其時々廣く公議を盡裁決仕候事。
 右之通藩制仰出之御旨趣奉體認、今般改革仕候。其餘御布告之趣は時々申渡候。此段夫々御屆申上候。以上。
    庚午十二月(明治三年)                     金  澤  藩
〔金澤藩改革目〕
       ○

 臣慶寧頓首再拜謹で案ずるに、方今明叡上に在り、輔翼人を得、百度維新、乾綱更張、此機に乘じ規模弘開、萬世不拔の御宏謨をも可建。就ては其施設する所固より緩急前後も可之候得共、先内外の御區分を被立候儀是當今第一の急務と奉存候。葢天下の萬機砦御親裁に出候へば、内外御區分の相立ざる即是古來因襲の姿にて、尤於其時は至理も可之候へ共、形勢一變古今宜を殊にする今日に至ては、反て其が爲に一種の弊害をも可釀候得ば、何卒今般宸斷を以て皇居の外更に善地を相し新に太政官を御造營之、皇帝陛下と雖日々御幸臨被在、朝野をして徧く其朝憲の所出民心之所向は、必ず此に在て彼に不在して、陛下の萬機に御勤勞被在も亦如此公明較著なるを知しめば、則闔國人心自ら走る所有て、而して徳教の行るゝ必今日に倍する者あらん。如此して順次御手を被下候はゞ、次第に國勢隆盛皇威遠被の場にも可立至と奉存候。仍之臣其地勢を考ふるに、海運の便利土地の廣濶東京に勝る所なし。且今日に當て一歩を退も國勢の隆替に關係仕候へば、必於此地御選擇有之度。就ては東京城本丸頃日廢址に相成候得ば、此處に造立之歟。抑臣謭劣の身を以て重任を辱し、剩へ過分の家祿を賜る。顚墜の恐れ死無身。仍て家祿の内に就て聊現米二萬石奉献納度、伏して希くは臣が區々涓埃の微衷を照鑒被在、右を以太政官御造建御用度の萬分が一にも被充候者、臣の大幸其何を以か之に加へん。臣慶寧感激懇祈之至、誠恐誠惶昧死以聞。
    庚午十二月(明治三年)                   金澤藩知事  前田慶寧
      辨 官 御 中
〔慶寧公御達願伺御屆書寫〕