石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第九節 版籍奉還

かくて封建の餘習殆ど見得べからざるに至りしを以て、藩知事は更に上下の親睦を圖り治務の圓滑を期せんが爲、十二月六日その自邸に判任以上の廳吏・家政に關する職員及び文人墨客の名あるものを集め、宴を張り詩歌を吟味して以て清興を遣れり。稱して與樂宴といへるもの即ち是なり。
與 樂 宴
 正三位齊泰)公狂歌  與樂宴自他國ものゝ會なれば十一分にちゞまず(縮・知事)に書け。
 右は明治三年十二月六日廣坂御住居に於て、落廳判任以上の人々共外御家政向に相勤居る文人集會被命。其時從三位慶寧)公より、正三位公御事は從前百萬石の御領主從三位公は十分一御領被遊事故と被仰上けるに、正三位公聞召れ取敢ず即吟に右狂歌を被成、坐興となし給ふと云。
 知事公詩歌  山河積雪照乾坤。與衆朝來遊此園。一斗百篇須興。滿堂和氣有餘温
        光さす玉の巵もろともにこゝろ隔てず酌むぞうれしき
〔續々漸得雜記〕
       ○
與樂宴
                            田 中 正 義
 於戲我前田侯。遭逢中興之聖運。以明治二年春二月。返還封土。尋有勅命。公爲金澤藩知事。是年十一月十七日。去本城執政本多政以邸。越三年十二月六日。盡召在職諸臣。設宴曰與樂。聖代之宴也。盖所以廢舊例古格維新之政體也。夫庶績不凞。人材不擧。上下間有蔀障也。易曰。豐其蔀。日中見斗。言甕蔽之害也。伏惟。客歳公從于鳳輦于東京。勤勞王事。猷謀副聖旨。有寵命之。且以爲之儀則歸藩以來。事無大小。本於聖旨。恐一官不其人也。謂學校庶績之所以熙。人材之所由出也。乃更宏規模。増立小中學。設皇漢洋之學課。使四民皆就學焉。共徒之俊秀者。進入之大學。欲以供朝廷之用。張皇威於萬國也。於是國人大悦。皆賀其材之有資矣。公乃告在職諸臣曰。國人悦即與卿等之悦也。此悦則卿等欣戴聖旨。勵藩政之所致也。乃張此宴。欲相與樂。且有命云。此宴宜和後禮互爲賓主也。是烏知除所謂蔀障之意也。詢希世之盛事也。正義又竊聞之。公排除蔀障之意不于此。城中有園曰兼六。泉石之奇。眺矚之美。江山入指呼。烟鬟凝翠。海内所罕見也。公欲以充衆庶遊樂之地。嗚呼此園而爲衆庶遊樂之地。則春曉秋夕。徜徉優遊者。當歌甘棠以頌公之盛徳焉。其爲盛事。豈止一夕之宴遊哉。宴已酣。歡樂聲湧。乃歌曰。樂只君兮賜此巵。肴若阜兮酒若池。皇州之盛民之祐。既醉且飽以徳義。明治三年冬十二月六日。金澤藩軍事係權少屬田中某謹書。
〔與樂宴序〕