石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第九節 版籍奉還

明治二年氣候順ならずして禾穀熟せず、貢租不納多く、儲穀亦缺乏して價格騰貴し、貧民飢餓に陷るものありしかば、金澤藩は管内三州に令して酒造高を例年の三分の一に減ぜしめ、又米十九萬六千二百六十六石三斗七升四合・稻子千八百三俵・錢五萬六千二貫八百六十五文を賑恤せしが、更に翌三年正月に至り、各官員に令して職俸の半を割きて救急の資に充てしめ、又藩知事慶寧自ら費を割きて之を補はんと欲し、會計の吏北川亥之作に諮る。亥之作對へて曰く、近時支出多岐、經常の費すら尚且つ給する能はず。如何ぞ別に救恤の餘財あるを得んや。若し強ひてその法を講ぜんと欲せば、即ち歴世藏する所の古器珍寳を沽却し、以て若干の資金を得ざるべからず。然れども今にして之を失ふは祖宗の遺愛を重んずる所以にあらざるを以て、恐らくは徒らに言ふべくして行ひ難かるべしと。慶寧之を聞きて曰く、この事眞に易々たり、何の難きことかこれあらんや。抑古器珍寳の如きは、貴は即ち貴なりといへども實は閑餘の玩好に過ぎず。且つ一たび失ふも他日購はんこと必ずしも困難にあらず。宜しく直に決行して皇上赤子の生命を救ふべしと。是に於いて書畫文房具茗器數百点を大坂に輸して之を賣る。管内の士民亦藩知事が仁慈の心深きに感激し、各競ひて金品を義捐せしが、その額米三百四十七石・粟八十六石・金八千四百三兩に及べり。