石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

井口義平は幼名を義四郎といひ、義三郎の子なり。垂髫にして父を喪ひ、祖父鐵太郎に育養せらる。鐵太郎人と爲り謹厚にして學を好み、造詣する所淺からず。是を以て義平の庭訓頗る嚴肅なりき。義平稍長じて大島流の槍術を筒井右門に習び、又壯猶舘に入りて英式操銃を學べり。明治元年祖父歿したるを以てその後を享け、秩祿百八十石を食む。是に至りて義平、儒杏敏次郎等に就き學を修め、元治志士の事蹟を知りて大に感激する所あり。遂に國事を以て念とし、誤りて政均暗殺の首謀となれり。刑せらるゝ時年二十三。辭世の咏に曰く、『微軀敢献報恩誠。臨死從容心自清。願爲厲鬼此賊。長留天上護金城。』又『色も香も皆うちすてゝ一すぢに君がためにとつくす眞ごゝろ』