石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

刺客山邊沖太郁は諱を政勝といひ、その學識は淺かりしといへども、氣魂の雄渾は決して他の追隨を許さゞりき。沖太郎幼かりし時その保姆誤つて地に墮しゝかば、右腕爲に折れて復用ふべからざるに至れり。是を以て沖太郎は左手を以て刀を揮ひ、垣本佐五右衞門を師として堂奧に達し、壯者と伍して未だ曾て敗を取らず。故に不具の身を以て尚廢嫡せられざるを得たり。沖太郎が政均を刺しゝとき、唯一刀にして謬らざりしもの亦之に因るといふ。刑せらるゝ時年二十八。遺詠あり、曰く、『よみぢゆく旅の門出の今はまで忘られはせず國の行末』、又『ひとつだになかりし賤が眞心を君にさゝげて死するうれしさ』