石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

明治三年九月刑部省は沖太郎等の刑を裁定するに先だち、參考に資するが爲本多政均爲人に關する調査を命じ、は直に書面を以て之に應へたりき。次いで四年二月十四日政均の暗殺に關する獄成り、沖太郎と義平とは新律綱領に照らし刑獄寮に於いて自裁を命ぜられ、菅野輔吉は三年間の禁錮となり、又多賀賢三郎・岡山茂・岡野悌五郎は七十日の閉門に處せられ、而して岡野外龜四郎と松原乙七郎は處刑を免る。石黒圭三郎も亦四年夏歸藩して自首せしが、その罪本件に觸るゝことなしとせられ、別に脱の故を以て閉門九十日に處せられたり。

 本多從五位儀、内門閥之内第一高祿に而、數代元老之職相勤、不學無文に候得共、生質敏捷に而、國事盡力黽勉不怠、私事不顧、斃而後已之氣象有之、於知事深倚頼致し候者有之候。執政在勤中可失體は更無之候得共、右樣政權彼に歸候處、改革紛擾之折柄時勢全徹底致兼候處より、無識之下民におゐては誹謗之巷説甚敷、兎角人望も無之被嫉惡候。依山邊沖太郎等之徒輩、確證も無之流説を信じ、憤激之餘り及殺害候次第に御座候。右從五位人之樣子及情之大概如此に御座候。以上。
    明治三年九月                    金  澤  藩
〔金澤藩事蹟文書類纂〕
       ○

                            士族山邊沖右衞門嫡子
                              山邊沖太郎
 右沖太郎儀、去巳八月七日元執政本多從五位を及切害、不屆之次第官邊え及御達候處、自裁申付旨被仰出候條、此段申渡候也。
    辛未二月十四日(明治四年)                      廳
〔金澤監獄所藏文書〕
       ○

                            士  族
                              井 口 義 平
 右義平儀、去巳八月七日元執政本多從五位を及切害、不屆之次第官邊え及御達候處、自裁申付、世襲祿子孫に可給旨被仰出候條、此段申渡候也。
   辛未二月十四日(明治四年)                      廳
〔金澤監獄所藏文書〕
       ○

                            士  族
                              菅 野 輔 吉
 右輔吉儀、去巳八月七日井口義平山邊沖太郎儀元執政本多從五位を及切害候事件致同志、不屆之次第官邊え及御達候處、禁錮三ヶ年可申付旨被仰出候旨、此段申渡候也。
    辛未二月十四日(明治四年)                      廳
〔金澤監獄所藏文書〕