石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

當時士人にして上書を巡察に致し、以て沖太郎等の爲す所その私心に出でたるにあらず、政均の政治亦大に非難すべきものあるを以て、努めて情實を察し公正の裁決を希望すといへるものあり。その陳情者の何人たるかを明らかにせざるも、此くの如きは之を刺客の同情者といはんよりも、寧ろ政均の反對者として見るべき者たりしなり。而してその上書中に、政均が越後出兵に反對せるものゝ如く言へるは、是れ亦揣摩臆測に過ぎずといへども、彼が佐幕の説を主張し討薩の論を唱へたりとするは、鳥羽・伏見の役に際し加賀藩が慶喜援助の目的を以て兵を越前に進めたる事實を指摘したるものにして、若し藩侯輔弼の任にある老臣の責を負ふべきものなりとせば、實に政均の腫瘍に觸れたるの感ありといふべし。

 草莾の微臣謹んで白す。凡そ天下の事、其形容を取て其情實を察せざれば、偏頗の私見に流れて公平を成さず。其言詞を聞て其腹心を得ざれば、是非混淆して千里の誤謬を致すに至る。聞く、今度本多從五位斬殺一件に付き官より巡察公使を差向られしは、是則ち其情實を詳かにし、其眞僞を正しうして、以て公明の天裁を下さんと欲するならん。彼の所謂、爲にする處ありて爲る者は利也、爲にする處なくして爲る者は義也と。抑今度本多從五位を刺したる兩士、何事を欲し何等の爲にして獨り奮ひ、身衆に擢で妻子を棄て身命を擲ち突然かゝる擧動に及びしや。人情誰か生を好まざらん。恩愛誰か親子を慕はざらん。是れ一心憤激止み難きもの有て處し難きに處するものにして、是れ則ち爲にする所なうして爲る者にあらずして何ぞや。然るに世評俗説或は狂暴又は血氣の餘とす。是れ思はざるの甚しきものにして、所謂其情實を得ざるの過なり。前後の仕抹首尾せぬ事も有之、疎暴の所業に相當ると雖も、一時忠憤激發の餘に出で、大體のみに着眼すれば、豈能く一々枝葉の末を顧念するに暇あらんや。抑本多從五位が是迄の專恣の擧動逐一枚擧するに堪へずと雖も、既往の事は姑く棄て置き、昨年朝政一新後、表には漸々朝命を奉ずと雖も實は佐幕の説を主張し、既に討薩の論を唱へ、夫が爲に人心の向背を惑はせ、其後も越後筋の出兵を拒み、動もすれば勤王の正義を取失ふ。然のみならず權勢を專にし威福を擅にし、私に門黨を結び刑賞失當、主の聰明を蔽ひ主の方向を誤らしむること多し。因て今般兩忠士の之を斃せしは、眞に國家の大幸なり。今よりして以後、主明赫赫、言路洞開、上下一和し、朝命遵奉、朝旨貫徹、濟々の多士振起鼓舞して藩知事を輔翼し、列の標的とも成るに至らん。今茲に天使下向して國情探索の秋に付き、一の有志一向雀躍して以て赤心を開き肺腑を叩いて概略を白す。伏して冀くは情實を詳かにし黒白を別ちて、以て公明正大の天裁を仰ぐのみ。
    明治二年十月                  加賀藩草莾有志一同再拜
      巡察公使閣下
〔自由之警鐘新聞〕