石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

抑沖太郎等が政均を以て奸邪の徒にして國政を亂すものなりとせる理由は如何。今これをその口供書によりて見るに、政均が自己の權威を擅にし、從來藩齊泰慶寧父子の聰明を蔽ひたるのみならず、又慶寧をして強ひて退隱せしめんと謀りたるが如しとするもの、これその一なり。政均が内別に高岡を起し、自らその藩知事の地位を獲得せんとすとの風聞ありしもの、これその二なり。元治甲子の變に於ける志士を殛刑に處したるは已むを得ずとするも、彼等は固より憂國の士にして、単に方向を誤りたるものに外ならざるが故に、王政維新の際その子孫に對して寛典あるべきに、政均が重職に在りながらその處置を爲さゞること、これその三なり。專ら西洋の風を摸倣し、古來重要の武器たる弓矢劍槍を廢し、爲に士氣をして懦弱に陷らしめたること、これその四なり。富國強兵の法を講ぜず、財用を匱乏せしめ、物價騰貴を招き、農民をして困窮の極離叛の心を生ぜしめたるもの、これその五なりと數ふるも、一として具體的の事實を認むること能はず。彼等は舊慣に拘泥する頑固の心を以て、徒らに革新を罪惡なりと思惟せしものゝ如く、その學識素より深遠ならず、天下の大勢に昧かりしが爲に、政均が洋風を鼓吹するを喜ばず、遂にこの凶變を釀すに至りしは惜しむべし。然りといへども、その心情頗る耿然、憂ふる所藩治の上に存して一點私利を射んと欲するにあらざりしことに對しては、彼等も亦國士を以て遇せらるべきものならずんばあらざるなり。