石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第八節 本多政均の遭難

既にして明治二年六月、前田慶寧版籍を奉還して藩知事に任ぜられ、大參事をして施政の衝に當らしむることゝなりしかば、沖太郎等は、若し政均の大參事に任ぜらるゝに至らばその專恣必ず舊に倍蓰するものあるべきを以て、速かに斧鉞を彼の首に加へて奸惡を事前に除くに如かずと考へたりき。因りて沖太郎・義平・輔吉・茂の中二人は抽籤によりて政均暗殺の事に當り、他の同志は從來の秕政を藩知事に建言して流弊一洗の爲に力を盡くさんことを約し、七月二十七八日の頃悌五郎の家に會して抽籤を行ひたるに、沖太郎・義平の二人之に當れり。次いで八月二日義平・輔吉・茂助・賢三郎及び杏百太郎は、又悌五郎の家に會して暗殺決行の期を本月六日又は七日の中に於いですべきことを議す。百太郎は義平が文學の師杏敏次郎の子なり。五日沖太郎・義平・輔吉・茂功・悌五郎・茂・乙七郎の七人賢三郎の家に會し、豫め起草せられたる斬奸趣意書を朗讀したる後、酒宴を張りて意氣を壯にし、その歸路に於いて政均を殿中に刺殺するの最も良策なるべきを決したりき。

本多政均寫眞 男爵本多政樹氏藏