石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

戰後前田慶寧は、加賀藩の武威を顯し朝恩の厚きを拜したるは實に戰病歿諸士の偉績に負ふ所多しとなし、少參事陸原愼太郎及び權少參事小川清太に諮詢し、明治三年彼等の姓名を石に刻して城東卯辰山上風光明媚の地に樹て、また社殿を興して英靈鎭座の所とし、その拜殿として城内の能舞臺を移し、顏して顯忠といひ、御門として殿閣の唐門を用ひたりき。廢藩置縣の後小川清太等有志の輩相謀り、年々祭祀を營みて舊藩侯の志を紹ぎ、三十二年前田利嗣の參拜したる時は碑石已に雨露の壞る所となりたるを以て、三十四年二月之を再造せしめ、同年宮内省より本社を官祭招魂社に列し毎祭幣帛料を下賜せらるゝの恩命に接し、三十六慶寧の贈位せられしとき前田侯爵家は更に爾後祭典餘興費を寄附することゝせり。後昭和十年四月招魂社金澤市出羽町に移されしも、遺構尚存す。

顯忠廟 在金澤卯辰山