石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

戰役の尚酣なりし時、朝廷物を賜ひて從軍將士の勞を犒ひ給ひしこと數次。七月在加賀藩臣を召し、彼等が常に藩侯を輔けて軍務に鞅掌したるを賞して白布を賜ひ、同月勅使を戰線に派して酒肴を頒たれ、九月又出陣將士に對し毛布を與へられしが如きは即ち是なり。次いで翌明治二年六月藩侯前田慶寧の功を録し、その大軍を動かし金穀を捐て、征討の官軍をして速かに功を奏せしめたるを嘉し、永世祿高壹萬五千石を賜ひ、支富山侯にも亦五千石を授けられき。然るに慶寧は、王政復古の大業創始の時に當り政府の出費莫大なるべきが故に、自ら賜與を甘受するに堪へずとなし、同月賞典祿返上して國家財用の一端を補はんことを請ひしも、朝議遂に之を許さゞりき。

                              加 州 重 役
 當春來追々出兵、爲皇室日夜勵精之段、全其主蓋忠より從軍報効有之事に候得共、於其方共も朝命奉戴帥先盡力指揮行屆候儀と叡感被在候。依之此品(白布)下賜候。愈以主を輔翼し可忠勤旨御沙汰候事。
    七   月(明治元年)
〔前田家記〕
       ○

 數月之間諸藩容易盡力叡感被遊候。依て軍士慰勞として勅使指立、乍聊酒肴下賜候事。
   七   月(明治元年)
〔前田家記〕
       ○
御沙汰書
 東北諸軍勇進長驅賊巣に迫り、捷報日に到り叡感不斜候。然處邊陬の地追々寒天に趣き、風雪の慘害に可至哉と深く被聖慮、格別の思召を以て聊爲防寒毛布一著宛賜之候事。
    九   月(明治元年)
〔前田家記〕
       ○

                            前田宰相(慶寧中將
 戊辰之夏北越賊勢猖獗の時に當り、大兵を出し各地戰爭勉勵、且つ盛に金穀を運輸し、北地の官軍其資に因る不少、竟に秦平定之功候段叡慮不淺。依爲其賞壹萬五千石下賜候事。
    六   月(明治二年)                     行  政  官
〔前田家記〕
       ○

                            前田宰相中將
 高壹萬五千石
 依戰功永世下賜候事。
   明治二年己巳六月
〔前田家記〕
       ○

  猶以左之趣在之不破彦三並横山三左衞門え茂可申聞候。以上。
 依召今日致參内候處、御大廣間御上段え出御、去夏北越之賊勢猖獗之時に當り、大兵を出し各處戰爭勉勵盡力、且盛に金穀を運輸し北地之官軍其資に由る不少、竟に平定之功を奏候段叡慮不淺。仍而爲其賞永世壹萬五千石下賜候段、御印物並御書付辨事坊城大納言殿被相渡、誠以無存懸有仕合候。此儀爲申聞斯候。五等官以上え茂爲申聞斯候。謹言。
                            宰 相 中 將
    六月二日(明治二年)                    慶   事 在判
      前田土佐守殿  木多播磨守殿  横山 藏人殿  横山 外記殿
      前田内藏太殿  多賀 源介殿  不破亮三郎殿
〔金澤文書〕
       ○

 戊辰之夏北越賊勢猖獗之折、出兵盡力且軍資を運輸し候に付、爲戰功御褒美壹萬五千石下賜候旨被仰出、實以恐懼不爲。これ臣が微功を以厚典之御褒美を蒙り候儀奉慚懼候。抑討叛伐賊は素より臣子の分たる處、御賞詞を蒙り候も望外之至り、况土地を賜候に及んでは寔に身に餘り候次第、殊更方今御國費莫大之折柄に候得者、此儘拜賜罷在候儀深く恐懼之至奉存候に付、甚奉恐入候得共、今般恩賜之高返上仕度内願候間、此段宜敷御執奏可下候。以上。
                            宰 相 中 將
    六月四日(明治二年)                      前 田 慶 寧
      辨 事 御 中
 (付 札)
 辭表之趣尤に被思召候得共、功勞叡感之餘賞賜候に付、返上之儀は不御沙汰候事。
〔慶寧公御達願伺御屆書寫〕