石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

八月朔日、福島村に在りし青地隊の小司山口東二郎の二分隊は見附に轉じ、次いで八十里越街道なる杉澤村を守る。この時青地隊長は一分隊を率ゐて麻生田村に在りしが、山口小司の所在不明なりしを以て、半司宮崎豐之助をして搜索せしめしに、途次成願寺村にて長岡銃隊足輕を捕へ、又長倉村に於いて新發田兵と大炮一門とを獲たり。既にして瀧谷村の大屋分司は青地隊長の所在を求め、炮門を牽きて麻生田村に來り會し、又隊長と共に杉澤村の山口小司に合し村松街道の間道原村を警戒せり。二日青地隊は、斥候役疋田佐吉郎・半司津田市之丞・宮崎豐之助に戰兵二分隊を添へて鹿峠村に進ましめ、大浦村の倉庫に在りし村松の米六百俵を鹵獲せり。この時敵は森町村に屯集せしを以て、長藩及び松代と協力して之を逐ひ、五日荒屋村に小司山口東二郎の大斥候一分隊を派し、大炮彈藥二十一箱・小銃若干を押收せり。荒屋村は村松に屬する地なるが、同は是等の武器を農民に頒ちて兵役に服せしめんとしたるなり。青地隊はその後院内村及び森町村の守備に當りしに、十日村松の家老森重内以下二十名、來りて降を我が軍門に請ひたりき。
歎願一札之事
 一、今度會津爲御追討官軍御差向之處、左亮(堀直賀)始家來共不行屆始末柄、誠以今更可申上樣無御座、重々奉恐入候。畢竟對官軍御敵對抔申上候心得之者は、主人始末々迄毛頭一人も無御座候處、全く會津隣領の廉より不止場合に而右之次第に相成候段、幾重にも厚く御憐察被成下、此上之處出格を以御慈悲寛大之御處置奉願上度、且家名之儀は奉歎願置候通、奧田貞次郎儀は筋目之者にて御座候間、何卒此者え相續仰付候樣是又奉歎願候。此段奉願度御尊に降伏罷出候間、何分にも厚御執成之程奉願上候。以上。
                            堀左亮家來
   慶應四辰(明治元年)八月十日                  森  重 内 在判
      青地半四郎殿
〔前田家記〕