石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

七月朔日薩長の兵來りて小川隊森立峠に會し、各向かふ所を定め、小川隊は森林中に散開して敵の正面に當り、炮門をその右に置き、長藩をして更にその右に列せしめ、而して薩は直に荷頃口に進みたりしが、小川隊の陣地は敵を距ること百五六十米突の高所にありしのみならず、原炮隊の分司大屋和左衞門最も射撃に長じて發する所一も虚彈なかりしかば、士氣爲に大に振ひたりき。當時敵は石礫を磨きて圓錐状となしたるを炮丸に代へ、大炮も亦木製のものを用ひたる如きは、如何に兵器の缺乏せしかを見るべきなり。我が軍乃ち突撃の令を發し、敵の砦内に亂入して盡くこれを大野村に逃散せしめ、次いで高畠小司は隊伍を整へて荷頃に進み、監察神田辰之助も亦小川隊の一部を率ゐて半藏金に入れり。時に長瀞の小隊長三浦梧樓は、半藏金に在りて西中野俣より吹谷に至る間の敵と戰ひ、薩摩及び松代の兵も亦こゝに在りき。神田監察以爲く、敵兵の陣地藥師山は我より高きこと五六十米突なるが故に、我が軍その正面より當らんとせば如何ぞ能く勝利を得べけんや。如かず迂回して彼の不意を襲はんにはと。因りて寡兵を率ゐて藥師山の左端を攀ぢ、敵を距る數間の所に至りて榛莽の中に伏し、機を見て將に接せんとせり。然るに正面なる薩兵の發する銃丸は敵陣を超えて伏兵の頭上に落ち、之に加ふるに薩長の迂回兵も亦我が後方數十歩の所に潛行して發射せしかば、腹背共に友軍の攻撃を受くるの苦境に陷れり。是を以て小川隊は蹶起して崎嶇たる山路を攀ぢ、辛うじて藥師堂に據るを得たりき。時に背面の攻撃功を奏し、敵漸く遁走したりしが、薩兵は謬りて藥師堂に在るものを敵の殘卒なりとし、猛射を我に加へしかば、神田監察は號旗を振りて僅かに之を止めしむるを得、次いで薩と共に栃尾に敗走する敵を尾撃し、急追六七町に及べり。偶參謀福原和勝後方より至り疾呼して曰く、敵將に我が退路を斷たんとす速かに背進せよと。乃ち田口を經て荷頃に退きしに、藥師堂は復敵の占領する所となりしを以て、小川隊薩長の兵と共に之を圍み、大地を以て敵を潰走せしめ、先登してその陣地を奪ひき。是に於いて小川隊は一分隊を派して比禮村の三角山を守らしめ、その餘は薄暮皆森立峠に歸れり。この日小川隊の兵頗る辛酸を甞めしも、幸にして一人を失はざりき。