石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

齋藤隊は曩に長岡攻撃に參加したる後、大島より柏崎に移りしが、六月二日更に出雲崎に轉ぜしに、海岸の敵は山田村に、山地のものは島崎に在りて對抗の勢を張れり。官軍の參謀伊藤傳之助乃ち命じて、三日拂曉を以て總攻撃を爲さしめしかば、齋藤隊は山田村に向かひ、近藤・金子兩隊と附屬炮門とは本道を進み、薩長の一小隊及び松代の若干は間道に入れり。然るに山田村・島崎村の敵既に退却し、島崎を去ること十餘町なる北野村の山腹に炮壘を構へて固守したりしを以て、近藤隊は進みて之を攻撃せしも水田多くして自由に軍を行る能はず、爲に死傷を出すこと甚だ多かりき。因りて使を齋藤隊に發して來援を求め、齋藤隊は七時島崎村に入り近藤隊に代りて戰ひしが、黄昏に至りて退却の命ありしを以て夜半皆出雲崎に歸れり。而して島崎村は齋藤隊の背進せし後敵の燒夷する所となりき。四日齋藤隊は久田村に進軍して守備すべき命を得たるを以て、乃ちその海岸に炮壘を築きて大炮二門を据ゑ、別に半隊をして與板街道守備の任に當らしめき。然るに十二日朝、敵はその附近に在りし松代の陣を襲ひしを以て、齋藤隊は高田と共に之を援け炮撃を加へて潰走せしめしが、後二十四日敵久田村の爺山に陣せる水野隊を襲ひし時には、隊長水野徳三郎之に死し、部下亦多く倒れ、宮崎隊の救援を得て纔かに防戰することを得、而して水野隊は宮崎隊長の合併引率する所となれり。この日敵彈多く齋藤隊の海岸炮壘に飛來せしも、敢へて來襲せんとするものなかりしを以て、與板街道の半隊を撤去し、更に一分隊を割きて爺山に炮壘を築かしめき。後に太田小又助の率ゆる中隊の來着するに及び、齋藤隊は出雲崎に還りて休養せしが、津田權五郎の銃隊馬廻組こゝに着陣したるを以て、又之と交代して出雲崎の陣を撤し、海路越中泊に上陸し、八月金澤凱旋せり。