石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

五月二十五日午刻、目附の小川隊は炮二門及び兵若干を赤坂村に出すことを命ぜられしを以て、赤坂・駒込の敵を撃攘し民家二戸を焚きて歸りしに、薄暮又敵三百餘人町村に屯集すとの報を得、半司杉本和三郎を杉澤村に派し篝火を焚きて夜を徹せしめき。然るに夜半果して人面の敵杉澤を襲ひ、薩兵は山上に在りて戰ひしも勝敗決せざりしを以て、小川隊は本道より進みて之を援けたりき。この夜、參謀又小川隊に令して赤坂口に出兵せしめき。二十六日曉天小川隊は赤坂に達せしに、長藩の隊長堀鑚太郎來りて、赤坂口を松代に委し、長藩の半隊と小川隊とは相協力して杉澤口の敵を撃退せんと議せり。時に敵は文納に屯する如くなりしを以てこれを探らしめしに、彼等の將に退却せんとする際に在りしかば、長藩兵は進みて奮戰し、小川隊は右翼に在りて之を助け、遂に敵をして潰走せしめたりき。是に於いて小川隊は兵を杉澤に憩はしめて糧食を喫せしに、暫くして敵文納の本道より進み來り、その一隊は山徑を經て杉澤の背面に迂回せり。小川隊乃ち長藩と共に各八員の兵を分かちて背面を防がしめ、本隊は本道左側の林間に散開し、喇叭・太鼓を奏して激戰せり。然るに山間の敵我が側面を射撃するに及び死傷を生ずること甚だ多く、小川隊長も亦左足に貫通創を得て歩行する能はざるに至り、遂に杉澤に後送せられて士氣爲に大に沮喪せしが、高畠小司の處置宜しきを得しを以て、僅かにその勢力を維持するを得、次いで炮車を分解荷擔して險惡の道路を超え、人面の村端に炮列を布けり。この時長藩は敵の杉澤に襲來するを恐れてその地に退き、小川隊獨留りて奮戰せしが、彼我の間纔かに一小流の之を隔つるのみなりしを以て、我は賊徒の銃丸如何ぞ官兵を傷けんやといひ、彼は官賊の射る所自ら正義の士を避くと應へ、互に罵詈して勢威を張り、吶喊の聲亦谿谷を動かせり。次いで上鹽に在りし敵數隊の來り加るに及び戰況益激烈となり、銃身熱して火の如く、藥垢筒中を埋めて發射容易ならざるに至り、夕陽西に沒するも勝敗尚決せず、終夜銃口より發する火光を目標として戰ひしが、翌二十七日朝七時に至り敵の銃聲初めて稍緩漫となれり。小川隊乃ちこの機に乘じ、六時を期して一齊突撃せしに、敵は大に狼狽し死屍を遺棄して上鹽に退き、小川隊は後填施條炮二門と小銃若干とを鹵獲し、退きて文納を守れり。後填施條炮は外國より舶載せしものにして、當時我が國數門あるに過ぎざりし良器なり。この日東征大總督府は軍監木呂子元孝を越後に遣はし、書を諸藩に下して戰捷を賞せり。二十九日朝小川隊は文納を發し下樫出村に至力、原村を過ぎて金澤村に休憩せしが、この附近尚敵地に屬するを以て殊に戒嚴を加へ、次いで栃尾に至り、先に進入したる小川隊の半隊と合し、簑輪隊に代りて守備の任に當れり。