石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

五月十九日朝八半時、報國隊將に河を渡らんとしたるを以て、小川隊は盛に牽制射撃を爲しゝが、六半時に至りて長岡城の北方に兵燹の起るを見たりき。これ報國隊が既に渡河を終りたるを報ぜるものにして、その火勢漸く熾ならんとするや、敵は不意の襲撃に驚きて大に動搖せり。小川隊乃ち山臼砲を沙洲の最前方に進めて草生津口を攻撃し、四時機に乘じて河を渡らんとせしもなかりしかば、兵士をして泳ぎて對岸より之を齎さしめ、往返數回して漸次兵員を上陸せしめたる後、草生津口の炮臺を占領せり。時に城主牧野忠訓の一族を初め士民皆荷擔して森立峠より逃走せしを以て、三好參謀は令して發炮を止めその血路を開かしめき。既にして小川隊は進みて長岡城に向かひしも、殿閣焰煙に包まれて入る能はざりしが故に、妙見口に至りて守備の任に當り、次いで城内を巡邏せり。この日敵の潰走するに際し、或は巨炮の火門に針し、或は車輛を水田の中に投じて炮身を覆し、以て直に官兵の用に供する能はざらしめたり。甲冑の類亦多く遺棄せられしが、後皆信濃川の河床に集めて之を焚けり。兵乃ち嗤ひて曰く、これ野蠻時代の遺物なりと。同日黄昏柏崎より來りたる簑輪隊の半隊長岡に入りしを以て、小川隊はその任務を之に讓り、川を越えて半隊を關原に派し、半隊を喜多村の本營に宿陣せしめしが、次いで近藤隊の關原に來るに及び、その地に在りし半隊も亦喜多村に集合せり。この日北陸道鎭撫總督高倉水祜は、改めて奧羽征討越後總督に任ぜらる。