石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

五月五日參謀は命じて、薩長に海岸より椎谷に向かひ、加賀藩に中田口を經て妙法寺に向かはしめき。是に於いて諸隊皆行進を起し、小川隊は中田に、簑輪隊は平井に、齋藤・金子の二隊は劍村に向かひ、而して宮崎及び水野隊は柏崎巡邏の任に當れり。六日昧爽小川隊中田に入りて敵情を探りしに、彼等が前夜既に矢田村に退きたることを知れり。因りて民屋に憩ひて糧食を喫せしに、偶敵兵來襲すとの報ありしを以て、炮司令村上喜一郎は直に炮車を進め、小川隊これに次ぎて矢田村の斥候派出所を破り、又火を曾地に放ちて山地を占領せり。時に敵彈雨飛して我が兵死傷するもの多かりしかば、小川隊は形勢の侮るべからざるものあるを察し、使を劍村に派して應援を求めしに、金子隊は炮門と共に吉井より來りて之に加り、齋藤隊は曾地の山上に出でゝ前進隊を掩護せり。小川隊乃ち進みて赤田村の敵を潰走せしめ、枯木村に火を放ち、敵兵をして悉く妙法寺方面に遁走せしめき。是を以て加賀藩の兵は、晝七時赤田村端に集合して勝利を祝し、次いで小川隊は中田村に、金子・齋藤二隊は劍村に歸れり。この間、簑輪隊は平井に在りて三國街道の要樞を守備せしが故に、遂に戰線に加ること能はざりき。この日、山本村に在りたる宮崎・水野の二小隊及び水上隊の一炮門は、曾地方面戰鬪開始せられたるを知り、各一分隊を殘留せしめて晝九時大沼に進みたりしが、恰も小川隊の曾地に入らんとするを見、敵兵なりと誤信して射撃せしに、小川隊は隊旗を振りて信號し、以て僅かに之を止めしむるを得たり。既にして宮崎隊等、敵の新屋敷にあるを見て直に突撃し、逃ぐるを追ひて割町村に入りしが、恰も赤田の敵が小川隊と交戰中なりしを以て、宮崎隊は又その側面に銃丸を送り、次いで土丸村の敵と戰ひ、黄昏に至りて割町村を燬き、山本村に退き、同夜參謀の命によりて更に兵を柏崎に收めたりき。