石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭


 私儀(久五郎)、昨夜田塚村領にて吉田省之進を短銃にて打ち候始末御尋に付左に申上候。
 一、昨夜五時頃中濱村宿陣堀丈之助方へ、官軍御用の爲にて吉田省之進と申人罷越、只今急速中田日迄出張致候樣甚だ迫(セリ)たて申聞けられ候に付、直ぐさま丈之助手合一小隊繰出し候處、省之進儀先きに立ち罷越し、柏崎宿陣近藤新左衞門方へも立寄り、同樣劍口村と申すところへ早速出張之儀申し入れられ候由にて、即ち新左衞門も跡より引續き繰出し候處、途中早足にて罷越し候に付、夜中の儀且つは後隊も相後れ候儀にも候間、暫時見合せ呉れられ候樣度々申入れ候處、極急の儀に候間早足にて罷越候樣強て申し聞けられ、柏崎町を離れ候て五六町計り過る時分、百姓體の者罷越し何か省之進へ申入れ候儀も有之樣の儀途中にて兩三度も有之、何か疑はしき樣子柄のところ、何れも提灯を打消し候樣申聞けられ、即ち打消し新左衞門の手合へも申送り候處、右省之進携へ候提灯のみに相成候。提灯段々見受け候處桑名合印附體の提灯持參にて、彌々早足にて進ませ候處、闇夜の儀土地不案内のヶ處へ無提灯にて罷越候儀何とも覺束なき次第。然る處新田村とか申す邊にて、右省之進同役體の人一人向方より罷越され、何か竊々申合せ、夫より兩人にて先きに立ち罷越され候處、右今一人の言葉も全く越後の産と聞受、何廉甚だ疑はしき儀とも相見得、時々丈之助共示談仕居罷在候ところ、中田口と劍口との別れ道にて、今一人の者は劍口の方へ新左衞門の先に立ち罷越候由にて相殘り、省之進儀丈之助の先きに立ち罷越候ところ、彼是疑はしき儀ども多く有之、若しや官軍方の御用と僞り桑脱走の者共罷越し、敵地へ引入れ闇打に仕るべき計策にても無之やと、先刻已來丈之助とも示談罷在候處、丈之助申聞けられ候は、今一返名前等相尋ね、其上にて彌々疑はしき儀有之に於ては打取り申すべき旨申聞けられ候處、極懸念なる場所へ相懸り候に付、暫らく見合せ呉られ候樣度々申入れ候へ共、返答に及ばず候に付走りつき申入れ候處、斯樣の懸念なる場所は遲々に相成り宜しからず、一刻も早く過去り候樣申聞候へ共是非と申入れ、暫らく相見合せ候て、是れより何れへ相向儀に候やと相尋ね候處、中田へ參り候段申聞候に付、改めて名前相尋候處吉田省之進と申聞候に付、何れの御と相尋ね候處、何國のにても無之段申聞候に付、再應相尋ね候處右同斷答へ斯樣なるものと申聞け、再三相尋ね候處我れは天下の者と相答へ、彌々疑はしき者に付打取候樣丈之助申聞けられ候に付、田塚村山の麓に於て即私持參短銃を以て三發打ち申候所、相當り候樣にも手答へ仕候得共、闇夜の儀何れへか相隱れ見當り申さず、打取り候儀相叶ひ申さず、且つ懸念なる場所柄に付、敵の計略に懸らざる内に急速其場を引取り、劍口の別れ道より少し手前に陣取樣丈之助差圖に付、則ち急速引上げ田塚村へ陣取候に付斥候等罷在候。右は官軍方よりは、今晩此口懸念に付一小隊斥候罷在候へば宜しき段、參謀役より差圖有之候旨御横目中より申談ぜられ候に付、其儀斥候致すべき旨丈之助申渡され、丈之助も斥候に罷出られ候。今朝に至り丈之助斥候より罷歸らず候に付、最早敵の懸念之儀無之に付、御人數柏崎陣所へ繰引きに致すべき旨、御横目中より差圖之旨神田辰之助罷越申聞候に付、則ち引揚げ申候。重て斥候として差出候處、田尻村庄屋三太夫後ろ小高き山の麓に、丈之助儀自害相果罷在候に付、斥候役の者罷歸り申さず候間、其段御手前樣へ相違置申候通りに御座候。然るところ前條短銃にて打ち候人は、教師役吉田省之進に相違無御座候旨承知仕候。何とも當惑至極、依て御法之通御所置方仰付られ候樣仕度奉存候。其外申上候儀無御座候。以上。
    五月朔日(明治元年)                    司令役 深山久五郎
      宮崎久兵衞殿
〔越後出兵消息〕