石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

是等の中津田玄蕃正邦は秩祿一萬石、今枝民部直應は一萬四千石にして、その手兵と稱するものは即ち家中陪隸の士なり。銃隊馬廻頭に屬する兵員はの士分を以て編成し、服裝は陣羽織又は筒袖羽織を用ひ、從僕をして鎗を擔はしめしが、後漸く洋服を着して鎗を廢し、その行進に際しては利蘭式太鼓を奏したりき。銃隊物頭は卒族の長にして、その隊士は板羅紗の洋服を着け、銃はエンピール若くはスナイドルを用ふ。卒族隊の中小川隊と簑輪隊とは、北征の命を受けしとき特に在の兵士中操銃に巧妙なるものを選拔編制せしめ、次いで錦旗を奉じて金澤に歸るや、又在來の銃隊に就き射的と撃劔との技術を驗し、身体強健實戰に堪ふるものを採りて加へたるものにして、實に兵中の精鋭たりき。又別に銃隊長といふは、當時兵制改革の後日尚淺く、頭役等にして西洋兵式に練達するもの尠かりしが故に、平士の俊秀を選びて卒族を率ゐしめたるものをいひ、炮隊物頭と炮隊長とは砲兵を指揮し、その隊士は銃隊と同一なり。