石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

是より先會津越後諸藩に牒し、その國情恟湧して藩士越後に逃竄するもの甚だ多きを以て、兵を發して之を鎭撫せんとすと告げたりき。加賀藩は會津が名をその藩士の鎭撫に假りて兵を越後に進めんとするの情を知り、三月五日之を先鋒總督に稟せしが、先鋒總督は十七日令を越後諸藩に下し、會津の兵若しその領内に入らば諭して本に還らしむべく、敢へて命に抗するものあらば直に誅鋤するを妨げずとなし、乃ち高田主榊原政敬及び新發田主溝口直正の入覲を緩くし、領邑に在りて相援けて事を處せしめ、又諸藩老臣を引見して會津兵の鎭壓に努力すべきを命じたりき。

 會津御家中先達而以來追々脱御人數有之樣子にて、今度右御取締之儀に付、御同家御軍事方より越後筋御大小名へ御廻章相廻候旨承り申に付、聞合之者(加賀藩)指遣候處、別紙寫取參り申に付相添之、小紙を以御達申上候。以上。
    三月五日(明治元年)
〔復古外記〕