石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

二十九日先鋒總督は金津を發して大聖寺に至り、晦日小松に泊し、三月朔日松任に進み、二日金澤に入りて東本願寺別院に舘せり。慶寧乃ち奧村河内守榮通・横山三左衞門隆平を遣はし、己に代りて謁を執らしめき。五日、曩に朝廷より親兵の費用を出すべき命ありしを以て、慶寧は米七十萬俵を七ヶ年に分割献納せんことを請ひて允されき。この日先鋒總督は、加賀越中越後諸藩及び越前鯖江に令して、藩侯の王事に勤めんと欲するものは自ら行營に至りてその情を述べ、又各管内に屬する戸口・土地等の簿籍と窮民及び忠孝義烈の者を録し、併せて舊幕府領の貢租に關する事項を調査して進達せしめしに、加賀藩及び大聖寺藩は共に書を以て之に答へたりき。

 一、御趣意之旨承服異議無之候はゞ、當主參營直に御請可之事。
 此儀依所勞、重臣を以御請奉申上候。
 一、家領高並新開地面・戸數・水帳・地圖等夫々取調、太政官え可差出事。但領内寺社同前。
 此儀急速取調之上可指上候。
 一、領内無告乏窮民は勿論、忠孝義烈之族は精々穿鑿、前條同樣可取計事。
 此儀急速取調之上可指上候。
 一、徳川領預之箇所租税此迄未納・皆納、並錢金穀共精細取約、早速本陣え可申出事。但國内徳川代官支配地同斷之事。
 此儀急速取調之上可申上候。
 一、徳川旗下並會桑之者共、往々潛匿之聞えも有之候間、無油斷吟味を遂召捕可申出、萬一隱し置候族有之においては可同罪。尤歸順之者は寛大之御處置可之候間、其段可屆出事。右之趣道中筋宿等は勿論、國中不洩樣可示置候事。
 此儀宿は勿論國中不洩樣急速觸示申候。
 尚御書付兩通之趣奉畏候。以上。
                           加賀宰相(慶寧中將
    三   月(明治元年)                     奧村河内守 在判
      御兩卿樣
        參謀・御用掛御中
〔北陸道先鋒記〕
       ○

 一、御趣意之旨承服異議無之候はゞ、當主參營直に御請可之事。
 此儀當分依所勞、重臣を以不取敢御請奉申上候。
 一、家領高並新開地面・戸數・水帳・地固等取調之上太政官え可差出事。但領内寺社領同斷。
 此儀急速取調之上可差上候。
 一、領内無告之窮民並忠孝義烈之士女精々穿鑿、前條同樣可取計事。
 此儀急速取調之上可申上候。
 一、徳川領預之箇所租税此迄未納・皆納、並錢金穀共細密取約、早速本陣え可申出事。
 此儀徳川料預り之箇所無之候。
 一、古金銀當分地下相場を以無差支通用致之御書付、且爲融通一枚付金三分之當りを以無差支交遣可致旨御書付、兩通之趣奉畏候。以上。
                            前田飛騨守利鬯)内
    三   月(明治元年)                     前田主計 在判
〔北陸道先鋒記〕