石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第七節 北越戰爭

既にして鎭撫總督の一行は安藝兵二百五十人を隨へ、正月二十日京師を發して大津に次し、二十五日小濱に至りて、慶喜征討の令と舊幕府の領邑を政府の直轄と爲すべき布告とを北陸道諸藩に頒ちしが、二十九日朝廷は更に鎭撫總督に令し、舊幕府領の北陸道に散在するものを檢して圖籍を上り、その民庶を撫恤せしめ給へり。二月五日加賀藩在京の吏天皇の將に親征し給はんとするを聞き、その先鋒を命ぜられんことを請ふ。翌六日車駕將に大坂に向かひて發せんとするを以て、改めて北陸道鎭撫總督高倉永祜を先鋒總督兼鎭撫使、副總督四條隆平を先鋒總督兼鎭撫使と稱し、福井・小濱二の兵を之に屬せしめ、尋いで福井藩の任を解き、肥前を以て代へたりき。小濱は曩に慶喜に黨して伏見の戰に參與せしを以て入を禁ぜられたりしが、後北陸道進撃軍に加り功を立てゝ罪を贖ふべきを命ぜられしなり。この日先鋒總督佐柹に進み、七日敦賀に至り、十一日北陸道諸藩に命じて官軍に對する供給の準備に努めしめき。

 方今不容易形勢に立至り候に付而者、數百年來奉朝恩、今日可報秋と奉存候に付、皇國之御爲國中身命を抛御東征之御先鋒願度宰相中將前田慶寧)所存之趣、近々中納言前田齊泰)上之上可願心得之旨豫て申越候趣御座候。然處今度御親征被仰出之御旨奉承候に付、不取敢國許え申遣候上者、猶又迅速登存底之程可願候と奉存候。乍去遠路殊に雪途之折柄、其上中納言老年多病にも御座候故、彼是遲延可相成哉と深心配仕候。就而者私共詰合之者より奉願候儀奉恐入候へども、何卒御親征之上御先鋒仰付下候樣伏而奉歎願候。是迄迚も勤王之儀者申上候迄も無御座儀に候得共、何分事情に疎き所よりして彼是不都合も御座候儀者甚以奉恐縮候得共、斯御時勢と相成候上者盡死を以勉勵、勤勞王事仕候より他事無御座候。此段厚御慈許を以て願之通御許容被成下候はゞ、難有仕合奉存候。前件之趣只管奉歎願候。以上。
                            加賀宰相中將
    二   月(明治元年)                      前田内藏太
                             横 山 外 記
〔北陸道先鋒記〕
       ○

                            北陸道々へ
 今度御親征に付、北陸道筋先鋒總督諸藩從兵追々進發被仰出候に付、國々道筋通行滯陣等之節、兵粮金穀人馬繼立之都合方、諸藩申合取計可申候樣御沙汰候事。
    二月十一日(明治元年)
〔復古外記〕