石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

次いで十二月十五日、先に行政官より發布せられたる藩治職制に基づき職制を釐革したりき。即ち加賀藩の舊制度によれば、重臣の樞機に與るものを年寄及び家老といひ、その年寄八家と稱する大身、家老は人持組に屬する七十餘家の士より任用するの例なりしが、今や共に之を廢し、その階級に拘らず一般に士人中の材幹を擇びて執政又は參政に任ずることゝし、舊八家を假に芙蓉問溜と稱して禮遇せり。是に於いて前田土佐守直信・奧村伊豫守榮通・本多播磨守政均・村井又兵衞長在を執政とし、横山藏人政和・津田玄蕃正邦・本多圖書政醇・前田將監恒敬・前田内臟太孝錫・不破彦三爲儀・横山外記隆淑を參政たらしむ。同日又人持組の定火消役を廢し、市民の消防組を定め、次いで二十四日多賀源介直道を參政に加へ、二十七日横山政和執政に進め、岡田雄次郎政忠[後改 樣]・木村九左衞門恕を參政とし、明治二年正月十六日には藤懸十郎兵衞頼善・丹羽次郎兵衞履信を、同月十九日には不破亮三郎貞順を參政とせり。而して執政奧村榮通は、病贏職に堪ふる能はざるを以て四月七日之を辭したりき。
藩治職制
 執 政 無定員 掌認朝政。 一紀綱政事無總。
 參 政     掌政事。 一庶務無與聞
 公議人     掌承朝命議員
 一、執政・參政は主の所任と雖も、從來沿襲の門閥に不拘、人材登庸務て公擧を旨とし、其人員黜陟等時々太政官に達すべし。
 一、執政・參政の外、兵刑・民事及庶務の職制の所定と雖も、大凡府縣簡易の制に準じ一致の理を明にすべし。
  但、職制一定の上は之を册にして太政官に達すべし。
 一、主の側はら從來所置用人等の職を廢し、別に家知事を置き、敢て屏の機務に混ぜしめず、專ら内家の事を掌らしむべし。
 一、公議人は執政・參政中より出すべし。
 一、大に議事の制を立らるべきに付、々に於ても各兵制を立つべし。
    十   月(明治元年)                      行  政  官
〔行政官布告〕
       ○

 今般藩治職制之儀御布告之趣に付、列之儀左の通御改被成候。
   執  政
   參  政
   人持組
 一、土佐守(前田直信)等八人身分名目之儀は、追而被仰出候迄は芙蓉之間溜之面々と相唱、且無役之分は人持組頭次に列可申候。
    十 二 月(明治元年)
〔加賀藩布告〕