石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

京師に留守せる齋泰は、四月五日大坂の行宮に詣りて天機を奉伺し、八日後京師に還れり。この日軍事總督仁和寺宮嘉彰親王は加賀・阿波等八の練兵を聖護院村に觀んとせしを以て、齊泰は一大隊を遣はして之に與らしめ、爾後二・七を以て練兵の定日とせり。既にして十五日、朝廷は奧越の諸侯が王師に抗するを以て、加賀藩に命じ薩長と共に北陸道を鎭撫せしめたりしに、二十二日齊泰は在の兵力を減じて征討軍に從はしめんと請ひ、即日その許可を得たり。因りて銃隊馬廻頭原七郎左衞門及び銃隊物頭・炮隊物頭の兵員等皆國に歸る。この月王師江戸城を收めて慶喜を水戸に幽し、閏四月八日車駕京師に還幸し給ひしかば、齊泰藩士をして七條より東寺に至る間を警衞せしめ、又自ら途上に奉迎せり。かくて京師の物情頗る鎭靜に歸したるを以て、五月二十二日朝廷加賀藩の市街巡邏を罷めしめ、二十七日又大宮御所・桂御所・今出川門の警衞を免じ、六月二日遂に齊泰に暇を給ひき。齊泰乃ち本多播磨守政均を隨へ、六日京師を發して十七日金澤に入れり。