石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

前將軍徳川慶喜江戸に遁れたる後、正月十九日加賀藩の重臣を招きて、專ら朝廷に對して恭順謹愼を表すべきを告げ、且つその罪を謝するが爲に斡旋せんことを請へり。次いで二十七日齊泰入朝のこと既に決したるを以て、前田土佐守直信をして先づ上洛の途に就かしめ、岡田與一直方の銃隊兵士、及び横濱勘兵衞宣徳・安井和介顯此等の銃砲隊を之に屬せしめき。二月十一日朝廷列侯を三等に分ち、四十萬石以上を大とし、十萬石以上を中とし、一萬石以上を小とし、その大には貢士三人を出さしむ。是に於いて加賀藩は木村九左衞門恕・陸原愼太郎惟厚・永山平太政時を擧げて貢士とし、後井口嘉一郎濟を以て木村九左衞門に代ふ。超えて十四日齊泰、本多播磨守政均・横山藏人政和以下士卒二千九百五十人を率ゐて金澤を發せしが、二十二日を以て著し、二十八日參内して天盃を拜戴す。この月朝廷諸侯松平氏を冐すことを禁じたるを以て、加賀侯も亦自今前田氏をのみ稱することゝせり。