石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革


 方今宇内の形勢東西に分裂して、於輦轂之下兵を交んとする由遙傳聞仕候。然處御家關東御味方、既御人數も御繰出と相成、眞驚大息に不堪申候。臣孝之雖昏愚、天下之形勢得失を概論し、謹而奉言上候。當時關東の荒政、彼は恨是は怒、人心以の外乖違、士風日々柔媚に趨、元氣隨而消亡。是國家衰老之秋也。關西の政事專ら士風を勵、輕薄を擯、義を好節を奬、人を用て偏なし、故人心懷服。是國家振起之秋也。伏て惟ふ。古今に時勢の變ある事、猶四時に春秋の變ある如し。即今天下大沿革の一機會と奉存候。併舊來御殊恩之關東に對し、危急之時節空く捨させられ候も於義理耻こと。又關西の諸侯聊御憾恨も無之處、徒に弓矢を向させられ候こと尤於道理忍處。此兩條殆ど御社稷安危之機可察大要と奉存候。只空く御舊臣をして多く鋒鏑に衅しむる而已ならず、御令名をして萬代不義に陷れ、億兆士民の笑となるこそ遺恨難堪候。縱他邦の鬼となるとも、侠骨の香をこそ冀ふ處に御座候。人命は泰山より重く鴻毛より輕し。輕重は只義の在處可御座候。臣孝之區々の鄙衷昧死奉言上候左の條件、若廳議萬一に備ふるを得ば至幸過之不申候。夫れ普天率土悉く王臣ならざるなきは勿論。然るに專横以來天下茫々名義不明茲に七百年、現今京師動擾人心不平不機會。殊に春來薄雪こそ天幸、速に精兵御引率、天機御伺として萬の意外へ出、御尊躰を以禁闕守護、猶東西和解之御周旋、天下をして鬪爭なからしむること、拔群之御忠節古今是より大なるは無御座候。自然勢ひ不已兵端を開き事難救節は、勿論御一手を以禁闕守護專ら勤王。萬一彈丸垂九門たる節は、速奉鳳輦一と先延暦寺へ玉座を移、而て事宜に應じ越前敦賀之港より護、當御城奉守護、庭する者是を撫し、不庭の者日月の御旗を以是を正され候ば、天下誰か勤王を重ぜざらん。不日海宇混一御忠節御恩義共兩全の御大功、亦甲兵を不用して覇道の御大業、御功業是より盛なるは無御座候。齊桓を凌ぎ晉文を駕すとも可なり。天下誰か之を非毀する者あらんや。但昨今御軍制改革、武臣不服、藝術不熟、人心未一致。如斯弱兵を以何ぞ彼の精兵に當るべけんや。即今關東の御味方は、憚ながら御失策と奉存候。方今關東と關西を張士誠と陳友諒に比し、上獨り明祖の術を行はせられ候へば、七道の草木不靡は無御座候。時は難得、神速御上守護のほど幾重にも奉懇願候。
 右之趣謹而奉言上候。以上。
    戊辰正月十日(明治元年)                      山崎傳太郎 在判
〔山崎孝之建白書〕