石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

慶寧退の報輦下に傳はるや、安藝・福井の二侯侍臣を遣はして之を抑止せんとせしが、慶寧は書を以て、備にその意のある所を告げ、前田内藏太孝錫を留めて在せしめ、十二日歸途に就きしに、朝廷は十四日を以て加賀藩の禁裏警衞を解けり。然るに十八日に至りて朝議一變せるものゝ如く、再び命を慶寧に傳へてその上洛を促し、若し疾重くして召に感ずる能はずんば代ふるに老臣を以てすべしと宣ひ、同日又朝廷は、無頼の徒多く洛中に横行するを以て加賀藩の士に命じて巡邏の任に當らしめき。かくて慶寧は二十二日を以て金澤城に入りしが、その疾尚癒えざるが故に朝廷の召に應ずること能はずとなし、二十五日横山外記隆淑に命ずるに、明年正月己に代りて京師に朝すべきことを以てせり。是れより先江戸に在りては、二十三日舊幕府閣老稻葉美濃守正邦等加賀藩の吏不破彦三爲儀を城中に招き、曩に慶喜の京師に在りし時慶寧周旋したる勞を謝し、更に大にその力を借らんと欲するを以て、慶寧大坂に來會するを求むるの意あることを告げたりき。蓋しこの際加賀藩の向背は、薩長と徳川氏との勢力消長に至大の關係ありしを以て、互に援きてその與黨たらしめんと苦心したりしなり。