石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

七月八日英艦ベレスレク・セルペント・シエルシスの三隻また所口港に入りて碇泊す。これ日本海沿岸に開港場を設くるに、新潟と七尾と何れが勝れるかを知らん爲にして、その士官アーネスト・サトウ及びシツトフオード二人は、十一日陸路より大坂に赴けり。同十一日佛國軍艦ラプラースも亦同港に入りて泊す。外國軍艦の頻々として來るや、乘組員の食料に充つるが爲、生牛を附近の村落に徴發し小島村の海岸に於いて屠殺したりしが、その皮を剥ぎ骨を解くの状佛教徒をして見るに堪へざらしむるものありき。村民等乃ち相議し、屠殺せられたる畜牛の爲に法會を妙觀院に營み、境外に碑を立て刻して牛追善塔といへり。この碑今現に存す。是より先慶寧幕府に請ひて曰く、能登の國たる遠く北海に斗出し、外舶に對する防備最も嚴密なるを要す。然るに國内幕府の領邑若干ありて、その政務は之を加賀藩に委託せらるといへども、農民尚能く我が命に服せずして海防の施設意の如くならざるもの多し。是を以て敢へて請ふ、自今悉くその民籍を我に附し、その租税は之を金に代へてより幕府に致さんと。是の月九日幕府乃ち令してこれを允せり。

牛追善塔 在鹿島郡妙觀院