石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第六節 藩末の改革

四月九日慶寧老臣に令して曰く、曩に卿等に命じて窮民賑恤の法を議せしめき。余思ふに、所謂窮民なるものに品種の差あり。その煢獨癈疾なるは已むを得ずして非人小屋に收容せらるゝものなりといへども、懶惰にして業を修めざるが爲に困窮に陷りしものも亦これなきに非ざるべし。是を以て窮民の賑恤は固より必要なりといへども、豫め遊民授産の法を講じて煢獨癈疾の外一人の貧民なからしむるを期するは、實にこれ政を行ふものゝ要務に非ずや。諸奉行能く余の意を體し、心を盡くして存恤せよと。この日石川郡打木濱大炮發射の演習を行ひしに、慶寧は臨みてその状を見、十九日には藩臣佐野鼎に西洋の兵書を講ぜしめて近習と共に之を聽き、二十三日には老臣と共に馬を堂形馬場に調し、二十八日には大小將組に屬する士の演武を便殿の前庭に觀、五月十三日には人持組の演武を二丸の講武場に見、又六月二日には騎兵隊を設置する案を立て、馬奉行に命じて厩馬を増飼せしめ、小祿の士には之を貨與して御術を習はしむることゝし、二十八日騎兵の練兵場を堂形馬場に設くる等、鼓舞策勵殆ど至らざる所なかりき。慶寧軀幹頗る長大なりしといへども、體疾甚だ強健ならず、常に宿痾の苦しむる所となれり。而も身を以て衆を率ゐ、改革に次ぐに改革を以てして、時世の變動に應ぜんとしたるもの、亦甚だ黽めたりといふべきなり。