石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

南越の陣加賀藩の總帥たりし永原甚七郎は、本姓を赤座といひ、關原の役に初め西軍の將となり、後小早川秀秋と共に東軍に歸したる赤座久太郎吉家の後裔なり。吉家戰後封を除かれたるを以て來りて前田利長に仕へ、その子右孝治の江戸に使せし時候の内旨を受けて永原氏を冐したるなり。甚七郎はその支族にして祿五百石を食み、初め大小將組に屬し馬奉行たりしが、嘉永六年作事奉行に轉じ、更に馬廻番頭を兼ね、文久三年五月頭並に進み、元治元年八月京都に在りて馬廻頭兼聞番となり、次いで水戸浪士防禦の事に從ひて功ありしを以て翌年秩祿三百石を加賜せられたりき。慶應三年十月甚七郎銃隊馬廻頭並に補せられ、姓を赤座に復し、明治二年三月職制改革のとき學政及び軍政寮の副知事となり、後參事となる。六年一月十四日歿す、享年六十一。

  一、三百石                        永原甚七郎
 甚七郎儀、一橋中納言殿、常陸下野兩國脱走之浪士御追討、近江路へ御發向に付、越前葉原へ出張已に可合戰處、浪士共此方樣御人數陣門へ向一橋殿へ降伏相願候に依り、右一陣御人數惣司にて、内外取扱方首尾格別之盡力拔群之働に付、如此御加増仰付候事。
〔水戸浪士始末〕