石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

慶喜が加賀藩諸將の陳情に接するや、己も亦田沼意尊が浪士を遇するに甚だ慘酷なるべきを思ひて痛心したりしが、十八日意尊の京師に著して慶喜に謁するや、浪士處分に關しては努めて天下の公論によりて寛大に從ふべく、先の常野に於ける降人との均衡を計り人心の和平を保持せざるべからずとの趣旨を述べたりしを以て、頗るその意を安んずるを得、十九日用人をして現に加賀藩の監視する浪人を慶喜より意尊に引渡したることを内達せり。同日また監察黒川近江守は、彼が意尊に先んじて敦賀に至り、自ら浪士の糾彈に從ふべきを以て、加賀藩の益監視を嚴にせざるべからざることを命じたりき。

 敦賀表において其方(加賀藩)へ御預け賊徒之儀、公儀御達之儀も有之、昨十八日田沼玄蕃頭に付、中納言(慶喜)殿より直に談判、賊徒ども玄蕃頭へ被引渡候。右は其筋より御達可申儀に候得共、爲御心得此方(一橋用人)も及御達候。以上。
    正月十九日(慶慮元年)
〔水戸浪士始末〕
       ○

 賊徒共降伏之始末爲取調、田沼玄蕃殿其外役々敦賀表へ致出張候に付、自分共支配向のもの引連御先へ罷越、右賊徒ども相糺候間得其意警衞向等之儀是迄之通り相心得、彌嚴重可取計候。尤委細之儀は着之上諸事可申談候。依之申達候。以上。
    正   月(慶應元年)                        黒川近江
                                 瀧澤喜太郎
     越前敦賀表へ出張罷存候
      加賀中納言殿
        家 來 中
〔水戸浪士始末〕