石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

敦賀に在りし加賀藩の兵は、十二月十日葉原に向かひて進みしに、夜來の降雪三尺許にして炮車の運搬困難を極め、夕七時に至りて漸くその地に著するを得たり。この日武田金三郎の部隊に屬する淺野佐六等、葉原の附近に於いて一人の僧を捕ふ。僧は名を榮林といひ、濃州谷汲の者なるが、浪士の爲に嚮導を託せられたるを以て將に敦賀に赴かんとせしなり。乃ち縳して之を本營に送る。幾くもなく二屋に派遣したる斥候歸り來りて、浪士等の新保驛に進み來るを報ぜしかば、加賀藩は兵を葉原外に出して戰備を修め、武田金三郎の大炮隊を最前列に配置し、銃卒隊をして左翼を護衞せしめ、監軍永原甚七郎は炮隊に次ぎ、赤井傳右衞門の士隊はその右に、不破亮三郎の士隊はその左に在りき。時に天甚だ寒く風威頗る猛烈なりしかば、陣中に樽を開き士卒の飮むに任せて鋭氣を養へり。既にして一橋家の探索人澁谷誠一郎といふ者、加賀藩の營に來りて夜襲の決行を要請したるを以て、兵直に之を容れて進撃の準備に着手したりしも、監軍淺香主馬は、新保驛に入れる浪士が纔かに四五十人の少數に過ぎずして、夜襲を行ふの必要なしと主張せしが故に遂に止めり。十一日加賀藩の軍葉原外に在りて浪士の來るを待ちしが、士卒は勿論役夫の輩に至るまで自ら竹槍を製して敵に當らんと欲し、甚七郎も亦『おもしろし頭も白し老が身を越路の雪にかばねさらさん』と書したる袖印を附し、鬪志頗る熾なるものありき。甚七郎時に五十二歳、尚甚だしく老齡にあらずといへども白髮の既に斑々たるものあり。是を以てその詠之に及べるなり。